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第97回 1、多様な探究 宗教学か宗教哲学か

京都大大学院教授氣多雅子

2013.05.28~2013.06.18

  • 1、多様な探究 宗教学か宗教哲学か
  • 3、神学の存在感 知的伝統を支える信仰
  • 2、哲学者の揶揄 ああ、有り難い、有り難い
  • 4、「宗教」の定義 スピリチュアリティに疑問

大学で私は宗教学専修を担当し、宗教学の授業を行っている。しかし、学生がこの名称で予期している内容と、実際に授業でやっている内容とは、しばしば食い違っている。学生としては、宗教学という名称から、仏教、キリスト教、イスラム教、神道などさまざまな歴史的宗教を対象として、それらの教理や歴史などを研究する分野だと思うらしい。京大文学部にはキリスト教学や仏教学という名称の専修もあることから、宗教学専修ではそのような特定の宗教に限定しないで多様な宗教を学ぶことができるというイメージをもつようである。しかし実際には、概論で少しだけそのような歴史的諸宗教を扱うものの、特殊講義や演習はまったく哲学の内容になっている。研究室の院生たちが研究しているのは、ベルクソン、レヴィナス、ヤスパース、ニーチェ、西谷啓治などの哲学者の思想である。

専修名を宗教哲学にしてしまえば、誤解はなくなるのかもしれない。しかし変更の機会もあったのに、先人たちが宗教学という名称を維持してきたのには理由があるのであろう。この研究室は、講座ができたときからずっと名称は宗教学、内容は宗教哲学でやってきた。考えられる理由の一つは、この名称について常に説明しなければならないということかもしれない。それは、自分は何をやっているのかということを絶えず問わなければならないということである。もう一つ考えられるのは、この曖昧さ、不安定さによって学生の多様な関心を受け入れることが可能になるという理由である。私たちの分野では、各人の関心の在りようが決定的に重要になる。関心の強さと深さによって見えてくるものがまったく異なるために、自分の関心の本当の在り場所を全力で探究しなければならない。その探究の多様さに備えるには、研究室の間口は広い方がよい。

今春も学生たちが研究室を巣立っていった。うちの卒業生もまた、大学で宗教学研究室に所属して何を学んだか、就職先で説明するのに、苦労するに違いない。