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第101回 1、宗教の危機 揺らぐ共同体の存立基盤

凱風館館長内田樹

2013.10.22~2013.11.19

  • 1、宗教の危機 揺らぐ共同体の存立基盤
  • 3、科学と信仰 真理の存在感じる知性
  • 2、祈りの作法 耳澄ませシグナルを待つ
  • 4、法則と神慮 生身通した「人間的経験」

宗教団体からよく講演を依頼される。一番多いのは教育関係からで、その次が医療関係、そして宗教である。たぶん、この順番は現代日本社会において「つよい危機感を持っている領域」の危機感の強度に相関しているのだと思う。

私のような人間を呼んで「好きなことを話していい」というのは、正直に言うと、よほどのことだからである。有卦に入って万事好調「笑いが止まりません」という業界が私に用事があるはずがない。私に声を掛けるということは、もう打つ手がなくなってきて、事態はすでに「猫の手も借りたい」とか「藁をも掴む」に類するレベルに達しているということである。

繰り返し申し上げるが、現代日本でシステムが危機的状況に達しているのは教育・医療・宗教である。もうひとつ司法システムも危機的なのだが、司法官は立場上「司法システムが危機的なことになっている」と公言することができない(そのせいでますます司法の危機は深刻化している)。

だが、この四つの働き、すなわち司法、教育、医療、宗教こそは共同体を支えている四つの柱なのである。それが揺らいでいるということは共同体の存立が危うくなっているということである。この四つは「裁く」「学ぶ」「癒やす」「祈る」という動詞に言い換えられる。この四つに私たちの集団は支えられている。

成員間に争いがあったとき、その理非をあきらかにする「裁く」機能を持たない社会集団では、最も力の強いものがすべての資源を暴力的に独占することになるだろう。「学び」の場を持たない集団では、子供たちは生き延びる術を教わることなく路頭に迷い、いずれ窮死するであろう。

「癒やし」の術を持たない集団では、病人も怪我人も老人も「足手まとい」として路傍に打ち捨てられるだろう。そして、「祈り」の言葉を知らない集団はついに知性を持たぬままに終わるだろう。

その理路についてこれから述べたい。