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時流ワイド

裁判員制度を"裁く"(3/4ページ)

2012年9月4日付 中外日報

課題事実を捉える視点が重要

裁判員候補者に選出されたことを告知する裁判所からの通知文書と調査票
裁判員候補者に選出されたことを告知する裁判所からの通知文書と調査票

裁判員制度施行前に宗教界でも対応が議論になり、人を裁くことへの抵抗感などが強調された。特に日本カトリック司教協議会が「聖職者は国家権力の行使への参与を伴う公職を受諾することは禁じられる」などとするカトリック固有の規則・教会法の規定に沿い、裁判員候補者に選ばれた場合、聖職者・修道者に対しては原則として辞退を勧めると明確な方針を打ち出した。

ただ、施行後に新たな対応や議論を提起した教団は皆無に近い。

昨年から「裁判員制度に関する研究プロジェクト」を開始した曹洞宗総合研究センターは「施行後は制度自体の評価が高いこともあってか、疑問点に関する指摘はあまり見受けられない状態。新聞にも賛成・反対の各種意見がランダムに掲載されるのみで、総括的な議論とはなり得ていない」との見方。現段階では制度の課題や評価を見極めている状況と説明している。

本紙では制度施行直前の平成21年4月、有識者と宗教者3人に「『裁判員制度』どう向き合うべきか」と題してインタビューを行った。3年を経て現状をどう考えるか、あらためて3人に話を聞いた。

反戦平和や死刑制度廃止の運動などに取り組む木下達雄・浄土宗大林寺住職と、真宗大谷派元教学研究所長の玉光順正・光明寺住職は宗教者としての立場から裁判員制度に反対する。

木下住職は「無罪率や死刑判決に大きな変化は見られないが、明らかに重罰化が進んでいる。裁判員経験者には心理的負担を訴える人も多い。予想通りだ」と指摘。

特に裁判員候補者が選任手続き期日に裁判所に出席する割合が減少傾向にあること(平成21年83・9%、22年80・6%、23年78・4%)を取り上げ、「このデータの分母は『最終的に裁判所に呼び出された人』で、呼び出しを拒否した人は含まれていない。実際の出席率はもっと低く、裁判員になるのが嫌な人が着実に増加している表れだ」とした。

また「公判前の論点整理手続きは予断排除の原則に反するなど問題の多い制度であり、見直しや改善ではなく廃止しかない」と断言した。

玉光住職は「特別な知識や技術を持たない市民が同じ市民を裁くのはおかしいというほかない。裁判の短縮化についても被告と弁護士が十分な信頼関係を築けるのか疑問。被害者参加制度の導入もあり、いよいよ被告は正当な権利を行使できない状況に追い込まれている気がする」と話す。

「われわれは、ただでさえ人を裁いて生きている。そして必ず過ちを犯す。しかし国家を背景に裁く側に立てば、簡単には『間違った』と言えなくなる」と説明。「被告よりもむしろ国家の過ちを裁くような裁判員制度をつくるべきだ」と述べた。

両住職は「人間は縁によって加害者にも被害者にもなる」とする人間観を強調。木下住職は「私と被告は本質的には同一という立場に立って裁判員制度を見ていかなくてはならない」、玉光住職は「非常に難しいことだが、加害者と被害者があらためて出会う何らかのやり方も必要ではないか」と話した。

他方、村井敏邦・龍谷大名誉教授は「裁判員制度について、まだ一概に良い悪いを判断する時期ではないが、当初危惧されたよりは順調に運用されているように見える」。

ただ、「ここまでの段階で一番の問題は、検察側の求刑より重い判決が多く出ていることだ」と指摘。障害者への対応が社会に十分整備されていないなどとして、アスペルガー症候群の被告に求刑を超える判決が出た7月の大阪地裁での判決を例に「社会に受け入れられないからといって量刑を重くするのは問題だ」と述べた。

また死刑判決に関わる裁判員の強い心理的負担に言及し、「裁判員制度は納税など憲法上の義務とは異なり、義務より権利に重点がある。重いトラウマを抱えるほどの負担を強いるのは行き過ぎ。そもそもこれは死刑に問題があるのであり、死刑が廃止されてから裁判員制度を導入すべきだった」とした。

宗教者が裁判員を務める意味については「被告がなぜ罪を犯してしまったか、宗教者だからこそ、その心中を察し理解できることがあるはず。法律家だけでなく一般の人が裁判員になることには、そういう意味もある。宗教者の視点を持って事実を見ることが、司法の場において重要な意味を持つ」と語った。