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時流ワイド

「尊厳死」を選びますか(2/5ページ)

2012年10月4日付 中外日報

命の終わり判定するのは誰 動き出す「尊厳死」の法制化

超党派の国会議員でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」が"尊厳死法"の制定を目指し準備を進めている。法案では終末期にある患者本人が希望すれば、医師は延命措置をやめることができ、責任も問われない。個人・社会の死生観に関わる内容に、関係団体、識者からは「命の軽視だ」「患者の意思を尊重せよ」と賛否の声が上がっている。宗教者の対応も問われている。(飯川道弘、闇雲啓介、赤坂史人)

慎重な国民的議論を尽くせ 延命は措置なのか治療なのか

人工呼吸器を"体の一部"とし、日常生活の命の綱になっている難病患者も多い
人工呼吸器を

患者が自らの意思で人工呼吸器の装着などの延命措置を受けず、自然な形で死を迎えることを「尊厳」ある死と考える立場の人が、これを「尊厳死」と呼ぶ。医師が薬物投与などで終末期の患者の死期を意図的に早める積極的安楽死とは異なる。日本で安楽死は認められておらず、人工呼吸器を外すなど医師が延命措置を中止した場合、刑事責任に問われる可能性がある。

法案は医療技術の進歩により延命措置で生命を維持する患者が増加する中、「尊厳死」での医師の免責を求める声や医療での患者の「自己決定」を重視する声の高まりを受け、議連が昨春から検討を進めていた。高齢社会での医療費の増大を抑えるという財政論的な背景も指摘されている。

議連(会長=増子輝彦参院議員)は「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」として今年3月に法案の第1案を、6月に第2案を公表した。

法案では、終末期の患者(15歳以上)が新たな延命措置の不開始(第1案)または現に行われている延命措置の中止(第2案)を書面などで希望している場合、医師は民事・刑事・行政上の責任を負わず不開始・中止ができるとした。本人の意思が不明の場合は対象外となる。

法案で終末期とは、適切な治療をしても回復の可能性がなく死期が間近な状態で、2人以上の医師が判断する。延命措置とは、病気の治療ではなく単に患者の生存期間を延ばすために行う人工呼吸器や胃瘻(腹から胃に穴を開けて管で水や栄養を送り込む方法)などの医療上の措置を指す。

患者の意思を表す書面は「リビング・ウィル」(事前指示書)などと呼ばれ、日本尊厳死協会がリビング・ウィルの普及を進めている。

法案の公表を受け同協会が賛意を示す一方、難病患者の会や障害者団体、法律家は相次いで反対や懸念の声を上げた。

問題点とされる一つは「終末期」の定義だ。「『死期が間近である』との判定の後、蘇生した事例は多数報告されている。死期が間近であるとの判定は、誰にもできない」(社団法人全国脊髄損傷者連合会)

「延命措置」という言葉も「マイナスイメージとして使用されており、必要のないものという認識が前提となっている。人工呼吸器、栄養補給、人工透析などは、『生きるための必要不可欠な手段』である」(障害者インターナショナル日本会議)とみる。

「患者の意思」については「決して十分とは言えない我が国の医療や福祉の中で、長期療養も難しく、重い障害のある当事者本人が、家族や周囲を慮って『意思』を表明する場合もある」(全国遷延性意識障害者・家族の会)とする。書面で示された意思が直近の意思と同じとは必ずしもいえないという意見もある。

また、どんな生や死の形にも尊厳があり、「尊厳死」の発想そのものが人間の尊厳を否定するものだとの声がある。

一方で、患者は治療において選択の自由や自己決定権を持つとの意見も根強い。このため「尊厳死」という言葉を避け、「自然死」「納得死」という名で法制化を進めようとする動きもある。

現行では、終末期を含め医療における患者の自己選択や自己決定について定める法律はないが、医療の現場で医師と患者・家族が個別に対応すればよく、あえて法律にまでする必要はないとの反対論も聞こえる。

宗教界では大本・人類愛善会が「国の総医療費圧縮の狙いが見え隠れしている。自己決定権として、人間の終期や終わり方を選択できると考えるのは、自殺する権利を認めるのに等しく、人間の思い上がりもはなはだしい」と法制化に反対の立場を明らかにした。

法案には、延命措置の希望の有無が運転免許証等に記載できることも定められている。「尊厳死」の法制化は国民一人一人、さらには社会の死生観が問われる問題をはらんでおり、日本弁護士連合会は「医療のみならず社会全体、ひいては文化に及ぼす影響も大きい重大な問題であり、その是非や内容、あるいは前提条件などについて、慎重かつ十分な国民的議論が尽くされることが必須である」と指摘している。