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時流ワイド

「尊厳死」を選びますか(3/5ページ)

2012年10月4日付 中外日報

死の「先送り」は命を冒涜する

『大往生したけりゃ医療とかかわるな』著者 社会福祉法人同和園附属診療所所長 中村仁一氏

今まではただ生き延びることが大事だと延命措置を推進してきた。寝たきりで意思の疎通もないひどい状態の高齢者がたくさんいる。死を前にした高齢者の死をただ先送りするだけの医療は、人間の命を冒涜するものだと思う。日本で尊厳死法が通れば一歩前進だ。

どういう場合なら医療にかかるべきかという医療の適応が二つある。一つは回復の見込みがあること。もう一つはQOL(生活の質)が向上すること。延命措置をする場合はこの2点を今まで以上に厳重にチェックする必要がある。

延命措置をした結果、予想に反したらその時点で止める。そういう選択肢があってもいい。今は見込みが違ってもそのままずるずる続けざるを得ない。医療に対する過度の期待もある。

ただQOLは厳密には本人しか判断できない。本人が判断できないときは他人が判断するしかないが、本人にとってそれが幸せかどうか、最善かどうかという判断をどうするかという問題は、別に考える必要がある。

胃瘻でいえば意識が清明で、自分で判断できる以外はみな家族の意向でやってきたが、現実にはやらないと飢え死にするとか、また口から食べられるようになると、医者が家族を誘導していた。事前に話し合いをしていなければ家族が本人の意向を知るわけがない。食べられなくなったらすぐに胃瘻をするのではなく適応を厳重にすべきだ。

こういう法律ができると、あなたのところも止めたらどうかと「無言の圧力がかかる」という。人の考えに流されずに、うちは止めないとはっきり言えばいい。

今の議連の案は延命措置の中止は患者本人の意思に限っているが、これではあまり現実味がない。本人の意思が分からない場合が問題で、家族の意向で延命措置を始めるのだから、厳密な手続きを踏んだ上で、家族の意向を認めるべきだ。本人の意思がまず優先。ただ10年も前のものではだめで、1年以内とか期限を定める必要がある。

何が尊厳があると考えるかは人によって違うから、私は自然死と言っている。死という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずだが、延命措置が死を悲惨で非人間的なものに変えてしまった。日本人は死について考えていない。ある日突然、親の死が目の前に突きつけられて周りが延命に走る。穏やかに自然死を迎えさせることが本来の良い"みとり"ではないか。