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トップ> 時流ワイドリスト> 松本サリン事件から18年 直聞インタビュー 河野義行さん
時流ワイド

松本サリン事件から18年
    直聞インタビュー 河野義行さん(3/5ページ)

2012年11月3日付 中外日報

死刑制度は矛盾をはらむ

河野さんは死刑制度に反対の立場を表明しています。理由は。

人の命は何物にも替え難い非常に大事なものという前提がある。その大事なものが、1人や2人を殺したら何の価値もなくなると言ったら、そこでまず自己矛盾を起こしています。

それから捜査の過程で人は間違う。死刑を執行したら取り返しがつかない。大事な命を誤って奪ってしまう恐れがあるもの、それが死刑制度です。

被害者感情の問題が指摘されますが。

犯罪被害者給付金制度ができる以前は、被害者は犯罪立証の証拠物という扱い。給付金制度も当初は死亡した人、高度障害が残った人だけが対象で、それ以外は放っておかれた。今は犯罪被害者等基本法ができましたが、犯罪を防げなかった道義的な責任は警察にある。被害者は結局、加害者を恨むとか憎むとかの感情だけで心のバランスを取っています。

民事裁判を起こして損害賠償を勝ち取っても、加害者に支払い能力がなければそこで終わり。一家の大黒柱や商店の事業主が殺されてしまった時に、経済的にきちんと補償されるシステムをつくらないと、激しい被害者感情は緩和されていかないと思います。薄く広く原資を集めて、被害者に還元しなければ。

河野さんは松本サリン事件に関わった元信者にも友人のように接している。どう恨みを消したのですか。

人の命は有限ですよね。長いか短いか分からない人生を基本的には楽しく生きたいというのが誰しも共通した気持ち。恨む行為そのものが楽しいかと考えると面白くもないしエネルギーも要るし何のメリットもない。

そういう生き方は損得で言ったら、絶対損だよなっていうのが私の結論。あったものを戻すことはできないので、そこで一線を引いて死ぬ時には楽しかったって終わる方が、生産的だなと考えたわけです。

そう生きようと思った瞬間があった?

私は昔からそういう思いがあって、それは死にそうになった体験があるからなんですね。子どものころ破傷風でもう死ぬんだと思ったし、社会人になってからも2度大きな交通事故を経験した。それからサリン事件。死って年齢じゃないのは確か。ここから先あるのかないのかも分からない。

罪を犯した人は国による相応の罰を受けています。私が罰を与えることもない。オウムの元信者の方と付き合っているのも、刑期を終えれば国のルールではそこでリセットされているから。それはそれで償ったからいい。普通の人と普通に接しているだけです。