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時流ワイド

スポーツと信仰の関係(2/5ページ)

2013年7月20日付 中外日報

甲子園へ…球児の心を支えるものは

宗教関係校の野球部を追う

伝説の名勝負といわれた昭和44年の夏の大会の決勝戦。古豪・松山商と東北の新星・三沢の間で争われた。0対0で迎えた延長15回裏、松山商は1死満塁の絶体絶命のピンチを井上明投手の驚異的な粘りのピッチングで凌ぐ。ベンチに戻ってきた選手たちはみんな号泣した。そしてナインの一人は後にこの時の心境をこう振り返っている。「あの時の井上は神そのものだった」――魔物が棲むといわれる甲子園のグラウンド。そこで勝ち抜くためには野球の技術だけではなく、このような精神力が必要だ。宗教を建学の精神とする宗教関係校の野球部員たちは何を心の支えとして甲子園で戦うのだろうか。(武田智彦)

天理「陽気ぐらし」のため

練習に励む天理の部員
練習に励む天理の部員

奈良県天理市の練習場では、5人の部員が代わる代わるボールをネットに投げ込む特訓に打ち込んでいた。野手の送球練習だ。ムチのようにしなる筋肉質の腕の動きには力強さとともに、しなやかさがうかがえる。

天理野球部は57人。全員が雨天練習場が付属する「白球寮」で寝食を共にしている。平日でも4時間以上の練習を行うとともに、毎日、寮で民謡の振り付けに似た、天理教独自の宗教舞踊「てをどり」を勤め、寮から約2キロ北にある本部神殿にも参拝する。3年生になれば全員が、教えを9回聴講する「別席」を受ける。

天理教教会本部職員でもある橋本武徳監督(68)は「信仰は練習の支えにつながっている。精神的なよりどころになる」と断言する。「原典」(教典)の一つ『おさしづ』に「一手一つ」の教えがある。橋本監督は「めいめいに与えられたいいところ、得分を真っすぐに伸ばしてやるということ。違うもの同士が手を取り合って、和を大事に、心の力を結集する」と解説する。

選手たちはこの教えをどう受け止めているのだろうか。

3年の上田優太選手は「試合で負けていたときでも『一手一つ』で協力し合って勝てた。自分で長打を狙うのではなくてバントで次のバッターに任せたり、守備でもエラーをみんなでフォローし合ったりした」。

教会子弟の早田宏規選手(3年)は「身上」の教えを胸に練習に打ち込む。「身上」とは、病気やけがなどの身体的な不自由は神が「悪しき心」を反省させるために人に与えた知らせだと受け取る考え方だ。練習中にフェンスに頭をぶつけたり、過呼吸になったりしたが、そのたびに「悪しき心」を反省し、考え方を改めてきた。

「仲間とけんかしたが、振り返れば我慢が必要だった。自己中心的だったのではないかと反省し、仲間への気配りを意識するようになった。練習中、みんなのモチベーションが上がるように声を掛けることを心掛けている」

上田選手も「今年の春の大会で負けて悔しかったが、後になって考えてみると、何か足りなかったことを神様が教えてくれているのではないかと思った」という。

3年の古田塁選手は信者ではなかったが、天理教の教会に取り次いでもらって入学した。「一所懸命、野球をやっている様子を神様に見てもらって喜んでもらう。(天理教の目標とされる)陽気ぐらしの実現のためにやっているという意識もある」と話す姿は、もう立派な信者だ。

陽気ぐらしのための野球。毎日勤める「てをどり」が華麗な送球フォームを生み出す、しなやかな筋肉の動きをも支えているのかもしれない。