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トップ> 時流ワイドリスト> 貧困とは、貧乏そして孤立 直聞インタビュー 社会活動家 湯浅誠さん
時流ワイド

貧困とは、貧乏そして孤立
    直聞インタビュー 社会活動家 湯浅誠さん(2/4ページ)

2013年9月14日付 中外日報

誰もが参加できる 豊かな社会に

高度経済成長期以降、われわれがほとんど忘れていた、見ようとしてこなかった貧困の問題がじわじわと日本の社会をむしばんでいる。相対的貧困率16・0%(2009年)は先進国の中でも高水準で、国民の6人に1人が貧困状態にある。

この危機的な状況を前に宗教界を含むさまざまな人たちが路上生活者の支援などに取り組んでいるが、自己責任論を盾に貧困問題に無関心な人たちも少なくはない。

日比谷公園の年越し派遣村村長を務めた「反貧困ネットワーク」事務局長で社会活動家の湯浅誠氏(44)に、わが国の貧困の現状と宗教者に寄せる思いを聞いた。(西谷明彦)

人のつながりが生む「溜め池」 頑張る気持ちの源 皆で造ろう

相対的貧困率の国際比較

貧しさと貧困は違うものなのでしょうか。

私の貧困の定義は簡単に言えば、貧乏プラス孤立です。

今でもお金がなくても幸せに暮らしている人はいますし、高度経済成長期前の日本はあらゆる物が現金化した生活ではなく、自分の田畑も少しあるし、隣人と味噌や醤油の貸し借りとか、そういう人のつながりがあり、お金がそんなになくても生活ができていました。

このお金がなくても暮らしていける条件などを私は「溜め」と呼んでいますが、貧困とは経済的な溜めだけでなく、孤立により人間関係の溜めまでも無くしてしまった状態です。

今でも貧困の話をしますと、どうやって収入を上げるかという話になるのですが、実は収入を上げなくても支出を下げることで生活は成り立ち、それを可能にするのが人のつながりとか、家族、親族などです。貧困の問題はそういう人間関係の溜めを含めて考える必要があります。

宗教者の方々がそれぞれの問題意識に基づいて貧困問題に関心を持っていただければ、人間関係の溜めを生みだしていく一つのきっかけになると思います。

人のつながりということならば、単純に貧困は個人の問題、自己責任ということで割り切れない問題ですね。

まず大前提として自分で頑張る気持ちは大事です。誰だって持っていた方がいいのですが、問題はどうすれば自分で頑張る気持ちが持てるかです。

両親から十分愛情を注がれて育った人と、幼いころから「お前なんか、生まれてこなければよかった」と言われ続けて育った人とが同じように頑張る気持ちを持てるかと言えば、そうではありません。

自己責任論はそうしたことは無視、あるいは見ないようにして、「頑張れば、できるはずだ」と言うわけです。それでみんなが頑張る気持ちが持てるわけがありません。そこが問題なのです。

先ほど溜めと言いましたが、溜めというのは溜め池の溜めです。日照り続きで枯れてゆく稲に「頑張れ」と何百回言おうと、ピンと立つはずがない。必要なのは稲が育つための水を供給する溜め池を造ることです。

溜め池は集落の入会地にみんなが共同作業で造りますが、貧困問題を解決するには、貧困にあえぐ人たちが頑張る気持ちが持てるような溜め池を、社会の構成員が力を合わせて造ることが大事です。