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時流ワイド

寄り添い看取る僧侶たち(2/5ページ)

2013年9月26日付 中外日報

緩和ケアは死に向き合ってきたか

先月末、三重県伊勢市の皇學館大で開かれた仏教看護・ビハーラ学会第9回年次大会のシンポジウムのテーマは「緩和ケアは死に向き合ってきたか」だった。その背景には、ホスピス緩和ケアの理念の変化に対する危機感があった。「緩和ケアの対象が『治療不可能な疾患の終末期にある患者および家族』から『生命を脅かす疾患に直面する患者および家族』に改められたことに違和感を覚える」との問題提起で始まったシンポでは、治療者として患者と向かい合おうとする医師の姿勢などを中心に緩和ケア、ビハーラの現場が抱える問題について議論が交わされた。1985年に当時、佛教大社会事業研究所に所属していた田宮仁氏が、仏教を背景とするターミナルケア施設を「ビハーラ」と命名することを提唱してから28年。その現状を探った。(佐藤慎太郎、鹿野雅一、丹治隆宏、西谷明彦)

新潟・長岡西病院ビハーラ病棟

ボランティア僧侶が読経 勤行を病室へライブ中継

朝の勤行に集まった患者や病棟関係者ら
朝の勤行に集まった患者や病棟関係者ら

新潟県長岡市の長岡西病院ビハーラ病棟は平成4年に開かれ、翌年に厚生省(当時)から緩和ケア病棟として認可された全国初の仏教系ホスピスだ。日常的にビハーラ僧が存在する病棟の「今」を取材した。

朝8時半、仏堂での勤行で一日が始まる。ボランティア僧が市内の自坊からやって来て、交代で読経と法話を行う。車いすや歩行器で患者らもお参りに来る。病状がおもわしくなく、病室でライブ中継を眺める患者もいる。

かつては病院内に僧侶がいることに、「不吉」「縁起でもない」との声も聞かれた。しかし現在では、ビハーラ僧らの長年にわたる地道な活動の結果、黒い僧衣を着けたままで僧侶が正面玄関から出入りしても非難の目を向ける人たちはほとんどいない。

常勤ビハーラ僧の森田敬史氏(38)も「今は外来の方の目も厳しくありません」と話す。

朝夕の勤行の他にも追悼法要やお盆など、年8回の仏教行事がある。地元の僧侶の有志が宗派ごとに持ち回りで行っている。

全27床の病床は患者がすぐに入れ替わる。ほとんどの場合死亡退院で、森田氏は「8月はおかえりになられる方が多かった」と表現した。亡くなった時には家族の要望に応じ、仏堂で医療スタッフも参加する「お別れ会」が開かれる。病院を出た後でも呼び出しがあれば駆け付けてお経を上げる。遺族にとっては一つの区切りになっているという。

家族関係があまり良くなく、他の患者と仲良くしていた患者がいた。朝夕の勤行にも参加していて、森田氏ともよく話をした。状態が安定していたので3年ほど病棟にいたが、その間、仲良くなった人が先に亡くなることが続いた。

そのお別れ会でこの人がポツリと漏らした「次は私の番がいいね。仏さん、私を呼んでくれ」との言葉が忘れられない。「その患者さんがおかえりになられた時は寂しさと悲しさとともに、どこかほっとした気持ちも感じました」と森田氏は言う。

ボランティアのビハーラ僧の原武嗣氏(74)は週1回、日中病棟に詰めている。自身もここで妻をみとり、その後、真宗大谷派の僧侶になった。遺族会の会長も務める。

「この病棟で過ごした時間がいろんな意味で良かったという思いがある。遺族会では月1回の集まりを病棟で行っていて、同じ体験を共有させてもらっている」。病棟ボランティアには原氏の他にも、緩和ケア病棟で家族や親族を亡くした経験を持つ人がいる。

「認知症だったけれど蓮如上人の御文章を覚えていて、勤行の焼香の時に唱えるおばあさんがいました。その人が返す『ありがとう』とか『おいしい』といった簡単な言葉からは、かえってこちらが最期の時にそう言える人間になりたいと学ばされました。医療サイドだけではケアできない人に対応できるのが、ビハーラなのだと思います」

ビハーラの意義を身をもって知る原氏の言葉は重い。

ビハーラ病棟では、共同スペースで雑談や作業が行われることがある。患者のKさんは、リハビリの一環でかわいらしい布製の地蔵を作っている。共同キッチンのテーブルで作っているうちに、病棟ボランティアや家族、他の患者にもはやりだした。

森田氏が東北の被災地に傾聴活動に赴く際にまとめて持っていって配ったところ、非常に好評だった。「私は手も遅いし、おしゃべりに夢中になっちゃってダメだけど、また10月に持っていってもらうから、それまでに作らないと」。Kさんは、作りかけの布地蔵を手に穏やかな笑顔を浮かべた。