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時流ワイド

寄り添い看取る僧侶たち(4/5ページ)

2013年9月26日付 中外日報

ビハーラを提唱した 田宮仁・淑徳大教授

希薄化する死の直視

昭和60年に「ビハーラ」を提唱した田宮仁・淑徳大教授に、ビハーラ活動のこれまでの歩みと今後の展望について聞いた。

提唱したきっかけは。

わが国では1970年代に入り、がんで亡くなる方が増加し、それに伴い、患者に対する告知の問題や機械に囲まれた死への疑問など、さまざまな問題がターミナルケア(末期医療)やホスピスという言葉と共に論じられるようになりました。

1980年代初頭に「ホスピス病棟」が開設され、90年代には「緩和ケア病棟入院科」が新設されました。しかしターミナルケアの問題は医療だけではなく、広く宗教や文化、歴史、習俗、習慣など人間の存在の全てに関わっています。

日本人の生死の問題に深く関わってきた仏教の責任において、ターミナルケアの問題に対し、日本的な「看取り」の在り方の必要を仏教の立場から問い掛けたいと考えました。それがビハーラを提唱したきっかけです。

活動の変遷は。

提唱した当初は、仏教界にも臨床現場に仏教者が入ることについて反対する人もいましたが、現在ではビハーラ活動を積極的に取り入れる仏教教団や宗派も増えてきています。「ビハーラ」という言葉が仏教界で定着してきたことは一定の成果だと思っています。

日本人の死生観の変化ということをよく話されますが、背景にはどのような事情があるのでしょうか。

かつて、家の畳の上で生まれ死ぬことが当たり前でしたが、現在では病院のベッドで亡くなる人がほとんどです。家族や地域の「看取りの文化」が失われつつあります。

また、太平洋戦争であまりにも多くの人の死を見過ぎたことが、死を直視することを遠ざけたと考えます。子どもには(死を)見せたくないという風潮があったことも事実です。

さらには、戦後、政教分離の名の下の偏った「宗教」の扱いや、「科学的である」ことが絶対的善であるかのような信仰にも似た価値観の浸透などは、「生きる」ということ、「死ぬ」ということの根本的な意味を学ぶ機会すら軽んじ、それらが死生観の変化につながっていると思います。

この死生観の変化がビハーラ活動にどのような影響を及ぼしているのでしょうか。

死後の世界の存在を含めた「死生観」を持たないということは、帰るべき真の故郷の喪失に他ならないと考えます。それでは、いま生きている「生」が刺激に対して反応するだけの、刹那的で方向性の無い生き方になってしまうのではと思います。ビハーラ活動は、仏教を背景にした「死生観」を確認することで、あらためて自身の「いのち」の在り方に責任を持つことだと考えます。

ビハーラと関わりの深い日本の緩和ケア医療の現状については、どのように思われますか。

近年「緩和ケア」という言葉が多用され、当初の「死の臨床」やターミナルケアという言葉がほとんど使われなくなってきました。「緩和」という言葉を使うことで、「死」の問題を直視することが希薄化し、ゆるめられ、体の痛みの症状緩和にのみ注目がいくことを懸念しています。

今後の展望は。

ビハーラ活動を充実させるためには多くの同志を増やすことや人材の育成が求められます。また臨床現場が増えることや、その存在をより多くの方に知ってもらいたいと願っています。ビハーラの実際に触れていただく第一歩として、日本仏教社会福祉学会や仏教看護・ビハーラ学会に一人でも多くの方々に参画していただきたいと思っています。