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時流ワイド

狭山事件 50年無実訴え
    直聞インタビュー 石川一雄さん(4/6ページ)

2013年10月10日付 中外日報

神仏が真実を明かしてくれる

仮出所して両親には何と。

まだ墓参りはしていません。今は仮出所で、まだ犯罪者という扱いです。両親は犯行時刻に私と一緒にご飯を食べていたのだから、誰よりも無実であることが分かっています。無実を訴えて全国を回ったりしてくれたのに墓参りもしないとは何事だと言う人もいますが、犯罪者のまま行っても両親は悲しむだけです。えん罪に苦しみ、見えない鎖につながれている姿を見せることはないと、仮出所の日、帰りの道で決意しました。仏壇にも手を合わせていません。早く報告できる日が来ることを願っています。

お墓は家の近くにありますが、寺は川越です。狭山のお寺は、この部落の者を引き受けてくれず、みんな川越の寺の檀家になっています。宗派ははっきり覚えていません。

家には仏壇も神棚もありました。父は毎日仕事から帰ってくると、神棚に柏手を打って一日の無事を感謝するような人でした。神様や仏様が守ってくださっている、先祖は大切にしなくてはいけないんだと、よく聞かされました。

特定の宗教を信じているというものはありません。一時は神も仏もないと思ったこともありました。ですが今は、神や仏が必ず真実を明らかにしてくださると信じています。昔から、天知る地知る人ぞ知ると言います。神も仏も私の無実を知っています。これまで無実を訴え続けてこられたのは、むろん支援者の皆さんの支えがあったからですが、神や仏がいるという思いがあったからでもあります。

74歳になりましたね。

50年もえん罪が晴れないことにもどかしさはあります。ですが焦りはありません。いずれは明らかになることですから。

このたびドキュメンタリー映画が完成しました。お風呂にまで密着されて大変でしたが、この映画を見て真実を見極めようという人が一人でも増えてくれれば、それに越したことはありません。

裁判官が証拠開示を勧告したりと、事態は前に進んでいます。検察は証拠を出して職責を全うしてほしいです。生きている間ではなく、元気な間に真実を明らかにしてほしいです。まだあと50年は元気ですが(笑い)。無罪を勝ち取ってからが本当の人生です。

宗教者の支援に感激

宗教者による支援は。

非常に心の支えになっています。特に今年5月22日に築地本願寺で行われた宗教者の再審を求める集会には感激しました。仏教やキリスト教などいろんな宗教の方々が、それぞれの正装をして参加してくださり、その色とりどりの服が今も目に焼き付いています。

宗教者として一人の人間を救えない存在であってはならないと、強い思いが皆さんから伝わってきました。聖職者としてはもちろんなのかもしれませんが、それ以前に人として見過ごせることではないという意思のようなものを感じました。

一般の方たちから尊敬を受ける立場である宗教者の方々が、平等や人権を訴え、人間の尊厳が奪われている現実をそのままにしてはいけないと行動されることは、周囲に大変大きな影響を与えることと思います。

教誨は受けましたか。

拘置所で集団での教誨を7、8回受けました。みんなが行くというので行ってみました。多い時は60、70人くらいは参加していましたね。どこの宗派のお坊さんかは分かりませんが、天国に行って安らかに暮らせるよう、それまでの日々を大事にしましょうといった話があったのを覚えています。

みんな真剣に聞いていました。いつ死刑執行されるか分からない人にとっては、そういった話が心に響くのだと思います。何人も死刑執行される人を見送りましたが、最後に握手しても手が震えている人はいませんでしたから、教誨の話で心が安らかになれたのかもしれません。

私自身は死刑ではないし、無罪だという思いがあったからか、それほど心に響いたわけではありませんでした。でももし自分が本当に罪を犯し死刑囚となっていたなら、教誨は必ず受けたと思います。仏教でもキリスト教でも、話を聞いたはずです。死にゆく人にとって教誨は心が落ち着くものであり、あってしかるべきです。

死刑囚の人はだいたい信仰を持つようになるものです。そうでなければ自暴自棄になりかねません。何人も死んでいきましたが、死刑執行してよいものかと思いました。死刑は復讐と同じです。法律に基づいたことですが、人を殺すことは取り返しのつかないことです。中には無実の人だっていたかもしれません。死刑はなくすべきです。