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時流ワイド

若き霊媒師たちを追う(5/6ページ)

2013年11月30日付 中外日報

死者の遺言を聞く生き神様

ユタ円聖修氏

白衣(しろぎん)を着て先輩ユタの前で儀式を行う円さん
白衣(しろぎん)を着て先輩ユタの前で儀式を行う円さん

鹿児島県奄美大島出身のユタ、円聖修さん(47)は東京で占い師として活躍する。ユタとして神の助言を借りながら占いをしたこともあったが、風土の異なる東京では奄美のように神の言葉をそのまま受け入れられる人ばかりではない。求める人には神の声を伝えるという、ゆったりした構えで伝統を守っている。

ユタのことを、島民は「カミンチュ」と言う。"生き神様"であり、祈祷やお祓いをしてもらったり、神様の声を引き継いでくれる存在だ。死後四十九日に死者の最後の言葉を聞く「マブリワーシ」では、ユタの力が大きく発揮される。霊が活動する夕方、薄暗い部屋でユタはススキを手に持ち、歌を歌って死者をおろす。円さんも祖父が亡くなった時に呼んでもらった。「憑依こそしなかったが、ユタの話を聞くと近くまで来ていることは間違いなかった」。その体験は印象深く残った。

円さんに「神ざわり」があったのは、高校2年の時。急に意識がもうろうとして、名前を呼ばれても体が思うように動かなくなった。それまでユタについての知識はほとんどなく、祖母にユタの所に連れて行かれて、「神様につつかれた」のだと教えられた。

まだ若かったのでユタになるのを待ってもらうよう神様に頼み、東京に出て占い師となった。10年を過ごし、正式な儀式を経てユタになったのは28歳。「師匠をはじめみんな高齢だったから、自分がユタの将来を背負っていくという意気込みがあった」と振り返る。それから数年後、奄美の島々を回って調査したところ、すでに徳之島や与論島にユタはいなかった。

奄美で現在、職業にしているユタは20人くらいとみられる。今もユタが多い沖縄本島とは事情が異なる。沖縄のユタは先祖供養のお礼で生活を成り立たせているが、奄美にはそうした習慣がない。また生き神様だから人助けをして当然と思う若い人が多くなり、収入を得にくいのが実情だ。

東京ではタロット占いを中心にして、ユタの活動とは分けている。カウンセリングの要素を含む占いと、はっきりした答えが出る口寄せを同列には扱うことはできないからだ。例えば恋愛相談を受けたとき、見通しが暗くても占いなら相談に乗れるが、短い神の言葉はダメとはっきり伝える。「奄美ではそういうものとみんな分かっているが、東京ではオブラートに包まざるを得ない」

高齢化の進んだ奄美のユタだが、近年職業としていこうという人が出てき始めた。従来は決してしなかった料金表示をすることで、収入確保を図っている。もともと神ざわりを経験した人は珍しくなく、収入が安定すればユタを職業とする人も増え伝統継承につながるはずだ。「死者が言い残したことを聞くマブリワーシの伝統は続けていってほしい」と願う。