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時流ワイド

若き霊媒師たちを追う(6/6ページ)

2013年11月30日付 中外日報

口寄せを頼む人の側に変化

駒沢大 池上良正教授

口寄せに死者供養の思いが薄れてきたと指摘する池上教授
口寄せに死者供養の思いが薄れてきたと指摘する池上教授

霊能者はいつの時代にもたくさんいます。教団の中にも民衆の中にもおり、それは今も昔も変わりのないことです。神懸かったり、仏を直接感得したり、どんな宗教者でも科学では説明のつかない体験をしているものです。

むしろ、教学や文献ばかりに没頭して霊能体験をしていない宗教者が多い現代の状況は、歴史上特殊な事だと思います。

今日でも、神や霊と接触したと自ら言い、周りの人も認めている例はたくさんあります。チャネリングやリーディングのように言葉を変えているので、旧来のイタコなどとは違うものという印象がありますが、巫者の存在は変わりなく存在し続けています。

ただ口寄せを頼む人の側には変化が感じられます。以前は相談者以外の人も参加できるグループ・カウンセリングのような形で行われていました。青森のイタコも各地のお寺や神社の祭礼に出ていて、簡単な柱にビニールシートの屋根だけがあるようなオープンスペースに、相談者が集まっていました。

死者をおろしてもらう人だけでなく、順番を待っている人も一緒に話を聞き、悩みに共感したりすることができました。また周りの人が死者の言葉にうなずいたり言葉を挟んだりすることで、死者おろしのリアリティーが増したのです。

ですが、今のイタコは小さな閉ざされた空間をつくり、その中に相談者が一人ずつ入っていきます。他の人が参加する余地はありません。プライバシーに配慮した形といえますが、個人化の進んだ社会の姿がここにも表れているといえるでしょう。

そしてこれが特に重要なのですが、昔は死者を呼ぶことが供養になると考えられていました。もちろん懐かしい人とまた話がしたいという動機は昔からありますが、かつては死者の供養になるという意味付けが、イタコからも相談者からもよく聞かれました。生前に話せなかったことを、話す機会をつくるのが供養になるというのです。

今は「死んだ人に会いたい」「声を聞きたい」と、亡くなった人のことより、生きている自分の欲望が前面に出ていることが増えているように思えます。死者を中心に考える文化から、生者中心、しかも常に「私」の欲望が中心に置かれています。

そしてもう一点、テレビや雑誌、近年はインターネットという新たなメディアの普及による影響です。かつては地域社会の狭い範囲の口コミだった情報が、今は短期間に全国に広まっていきます。テレビなどで取り上げられた霊能者に全国から依頼者が殺到しますが、評判が長続きするとは限りません。時を置かず非難中傷の対象となるような、評価の振幅が非常に激しいことも起きています。

東日本大震災では多くの方が犠牲となり、死者を大事に思う遺族の方々も多いことと思います。霊能者におろしてもらい、無念の思いを聞き遂げて成仏してほしいと願う人も多いことでしょうから、近年のこうした風潮に今後どのような変化が出てくるか注目されます。(談)