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ウクライナ東はロシア正教、西にカトリック 経済にも地域の思惑

現代イスラム研究センター理事長 宮田律

2014年4月23日付 中外日報(世界宗教地勢)

ウクライナ

ウクライナのハリコフとドネツクの2州では「人民共和国」の設立が宣言され、ウクライナの東西分裂の可能性も指摘されるようになった。冷戦後の国家の東西分裂の事例には、1993年にスロバキアがチェコスロバキアから平和裏に独立したことがある。

ウクライナでは、外国からの直接投資は少なく、大学卒業者の失業率も高い。東西の経済的格差もあり、ロシアに近い東部地域でウクライナの産業基盤が固まり、西部に比べればGDPも高く、またロシアとの経済的つながりも強い。よく指摘されるような東部はロシア語、ロシア正教会、また西部はウクライナ語、ギリシャ・カトリックという言語的、宗教的相違とともに、経済的にもウクライナでは東西両地域の思惑がそれぞれある。

ウクライナ情勢流動化の契機となったクリミア半島は1954年にフルシチョフ首相時代にウクライナ・ソビエト社会主義共和国に与えられた。クリミア半島のセヴァストポルはロシア海軍の艦船にとって重要な港であり、プーチン大統領のロシアにはクリミア半島をウクライナから切り離し、自国に編入したい思惑があったことは間違いない。

1050年前後にクリミア半島はトルコ人支配の下に置かれ、1441年から1783年までクリミア・ハーン国の統治を受けたが、この国はイスラムのオスマン帝国の属国だった。そのため、クリミア半島にはクリミア・タタール人というムスリムの住民が一定数存在している。

しかし、1783年にこの地に進出してきたロシア帝国に併合された。1900年までにクリミア・タタール人たちはその人口数を強制移住などによって半減させられた。さらにソ連邦になると、スターリンは住民の多くを中央アジアに移動させたが、こうしてロシア支配を受けてからのおよそ200年間でクリミア半島のロシア化とムスリムの追放が進んだ。

オバマ大統領は、ロシアのプーチン大統領との協調の下にシリアやイランの問題の解決を考えてきたが、この構想にウクライナ問題は大きな障害となり、イスラム国家シリアではロシアが支援するアサド大統領が年内での戦闘の決着を表明するほど政府軍が優勢な状態になっている。

ロシアの外交姿勢は、米国の外交政策に大きな影響力をもってきた親イスラエル、親サウジアラビアのネオコンなどタカ派たちにとっても苦々しいものになっている。ユダヤ教国イスラエルのネタニヤフ首相は核兵器製造の疑惑があると訴えるイランにロシアが原発建設の協力を行ってきたことを不快に思い、イスラム国家のサウジアラビアのアブドラ国王もまた欧米諸国がイランとの核交渉に入ることに反対し、ロシアが武器を供給するシリアのアサド政権に対する欧米諸国による武力行使を訴えてきた。

二つの州の「人民共和国」設立宣言にロシアがどう対応するかは定かではないが、ウクライナ情勢がより混迷の度合いを増し、米国、あるいはイスラエルやサウジアラビアのタカ派の主張を勢いづけるなど世界的にも大きな波紋を広げつつあることは確かだ。アメリカやEU諸国がロシアに強硬な姿勢をとればとるほど、プーチン大統領のロシアは頑なになり、それがトルコのクルド人などユーラシアの他の地域の分離傾向にも波及する可能性もある。

みやた・おさむ氏=専門はイスラム地域の政治・国際関係。『現代イスラムの潮流』『中東 迷走の百年史』など著書多数。