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パレスチナ・イスラエル教皇訪問に冷めた目 マロン派総大司教は歓迎

国立民族学博物館研究戦略センター助教 菅瀬晶子

2014年7月9日付 中外日報(世界宗教地勢)

パレスチナ・イスラエル

5月24日から26日にかけて、ローマ教皇フランシスコがヨルダンを経由し、パレスチナ自治区およびイスラエルを訪問した。期間中、教皇はエルサレムの神殿の丘や嘆きの壁、聖墳墓教会、ホロコースト記念館やベツレヘムの生誕教会を訪れ、停滞した中東和平の仲介や東西教会の協力などを約束した。エルサレムでは、キリスト教のみならずイスラームやユダヤ教の聖地にも足を運んでおり、宗教間対話への積極的な姿勢が見られた。

訪問中の様子は、現地メディアで大きく取り上げられた。なかでも目立ったのは、パレスチナ側メディアの歓迎ぶりである。というのも、パレスチナ自治区にもイスラエルにも、アラビア語を母語とするアラブ人(パレスチナ人)キリスト教徒がいるためだ。自治区ではヨルダン川西岸地区の中西部、イスラエル側では北部のガリラヤ地方や中部に集住しているキリスト教徒は「イエスの時代から」信仰を守り続け、古くからユダヤ教徒やムスリムと共存してきた。

最も信徒数の多い教派は東方正教(ギリシャ正教)だが、歴史の古い教派からプロテスタントまで、聖地らしくさまざまな教派の信徒が存在する。人口比率は全体のわずか8%(西岸地区)にすぎないが、数多くの知識人や政治家を輩出してきた。ただし、イスラエル国内のキリスト教徒は、イスラエルとほとんどの中東諸国との間に国交が存在しないため、イスラエルが建国された1948年以降は孤立した存在となっている。

もっとも彼らキリスト教徒はローマ教皇の政治的影響力に、それほど期待を寄せている訳ではない。今回の訪問によって、パレスチナの現状に世界の目が向けられることを望んではいるが、それ以上の効果が得られないことは自明の理である。

前回のローマ教皇によるパレスチナ・イスラエル訪問は2000年3月のことであるが、この半年後にオスロ合意に基づく和平プロセスは崩壊した。イスラエルが「テロリストからの攻撃を防ぐ」という目的で建設した分離壁によって、パレスチナ自治区の土地は複雑に分断され、人々の生活は著しく阻害され続けている。実際今回も祝祭ムードの余韻もさめぬ6月1日、イスラエル軍はガザ地区の空爆を行い、エルサレムではアラブ人の住宅が破壊された。

日本では報道されていないが、現地の人々、ことにイスラエル北部・ガリラヤ地方に住むアラブ人キリスト教徒にとっては、ローマ教皇よりもむしろレバノンのマロン派カトリック総大司教の訪問の方が、より画期的で身近な出来事であったようだ。

レバノン山間部を発祥の地とするマロン派は、ローマ・カトリック傘下でありながら独自の組織を持つ東方カトリック教会に属し、ガリラヤ地方にも数多くの信徒が暮らしていた。ところが1948年、イスラエル建国を推し進めたユダヤ人民兵によって、彼らの多くは住居を追われ難民となり、村は破壊された。

今回、マロン派総大司教はクフル・ビルアムとイクリットの2村の跡地を訪れ、かつての住民たちと面会を果たした。これを機に、忘れられた存在であったイスラエルのアラブ人キリスト教徒と中東諸国のキリスト教徒たちの交流が、再び始まるかもしれない。

すがせ・あきこ氏=専門は文化人類学、中東地域研究。著書は『イスラエルのアラブ人キリスト教徒:その社会とアイデンティティ』など。