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神と山鉾風流は不即不離 祇園祭の後祭、49年ぶりに巡行(1/4ページ)

2014年6月18日付 中外日報(深層ワイド)

京都の夏を彩り、庶民の祭りとして親しまれてきた八坂神社(京都市東山区)の祭礼「祇園祭」。1100年余り連綿と続いてきた祭りにとり、今年は歴史的な年となる。これまで7月17日に統合されていた前祭と後祭の山鉾巡行が、49年ぶりに分離され、24日の後祭が復活する。幕末の蛤御門の変で焼失した大船鉾も、150年ぶりに都大路に姿を現す。

華麗な山鉾や、おびただしい観光客がクローズアップされる祇園祭だが、町衆たちにとっては「神さんごと」であり、厳粛な神事だ。祭りを本来の姿に戻そうとする人々を支えるのも、神に対する畏敬の念であり、先人から引き継いできた祭りへの思いだ。(丹治隆宏・杲恵順)

後祭巡行の正式決定を報告する吉田理事長(2013年8月30日、八坂神社)
後祭巡行の正式決定を報告する吉田理事長(2013年8月30日、八坂神社)

33ある山鉾保存会を束ねる祇園祭山鉾連合会の理事長を務める吉田孝次郎さん(77)は「氏子町へと神様がお出ましになり、御旅所でお祭りをしてお帰りになる。そのことを喜び、ことほぎ、はやし立てるのが前祭であり、後祭だ。山鉾風流(ふりゅう)は、神の存在があってこそ、意味がある。神と私たちの風流は不即不離なもの」と力を込める。

2010年の理事長就任直後、後祭の復活に言及した。「現在の祇園祭は大群衆の固まりであり、露店のにぎわい。本来の美しさが埋没しかけている」という憂いがあった。「かつての姿をきちっと説明できる世代は、すでに喜寿を超えている。あるべき姿を伝えることは、私たちの責務だ」と思った。

山鉾は趣向を凝らして人々を楽しませる「風流」として長い時間をかけて発展し、町衆らの独自の美意識で飾り立てられ、多くの見物客を引き付けてきた。

例年、宵山が始まる7月14日から山鉾巡行までの4日間で、100万人前後の人出がある。宵山には多数の夜店が並び、見物客で立錐の余地もないほどだ。

吉田さんは「かつての露店は、箱庭の材料や夏虫を売る店など、山鉾風流に花を添えるような風情のあるものが多かった」と懐かしむ。

後祭の再開で、宵山へ殺到する観光客の分散化なども見込まれている。「静けさが取り戻されれば、神と人とが共に和するという神人和楽という状況が再び見えてくるだろう」と期待する。

吉田さんは後祭の復活を前に八坂神社の高原美忠宮司(故人)のことを思う。1965年ごろ、山鉾を出す各町内では、後祭の前祭への合併には賛否両論があった。吉田さんが住む町でも意見が二分し「このまま自分たちで決めてはしこりが残る」と、最後の判断を高原宮司に委ねた。神社に押し掛けた役職者を前に、「今は長いものに巻かれときましょう」と言った。

同社文教部長の橋本正明禰宜(56)によると、このころの高原宮司の心境を伝えるものはほとんど残っていない。ただ「信仰か、観光か」の議論の中で「苦渋の決断」だったという。「高原宮司は当時、祭りの本義を外してはいけないと訴えていた。だが社会情勢、山鉾を出す人々の意を受けて、統合について決断せざるを得なかったのだろう」と橋本禰宜は推測する。

吉田さんは「神社としては決して受け入れることはできなかったはず。だが、一回りも二回りも大きな志で、今は仮の姿でいましょうということをおっしゃった。仮の姿で48年が過ぎ、今ようやく元に戻る」と語る。