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自らの信仰・信心が試される 自死・自殺と向き合う僧たち(1/4ページ)

2015年11月25日付 中外日報(深層ワイド)

“精いっぱい生きた命”宗教者は共有を 苦悩聞き、独りぼっちにしない

自死・自殺の問題に取り組む宗教者が、宗派を超えて各地で会を持つようになった。宗教者との触れ合いを通して、死を選ぶまでに悩みを抱えた人や自死者の遺族が、落ち着きを取り戻す機会を得ているようだ。その一方で、葬儀の場などで宗教者から心ない言葉によって傷つけられた、とする遺族の声も聞く。「人を孤独にさせないことと、人と対話を続けること」が、宗教者自身の信仰・信心と深く関わる問題となっている。(萩原典吉)

12月4日に営む自死者の追悼法要に向け、リハーサル中の根本住職(左)

「なぜ、こんなに苦しまなければならないのでしょうか」。「では、その苦しみがどこから来たのか、一緒に探っていきましょう」。臨済宗妙心寺派大禅寺(岐阜県関市)では、相談者と根本紹徹住職(43)の語り合いが続く。「自死念慮者や自死遺族と出会うことと、僧侶としての日常は一体のもの」と、根本住職は気負いなく話す。

「自死念慮者と遺族に共通するのは孤独感。必要なのは、安心して話ができる場と仲間の存在」で、それも支援する側と支援される側の関係ではなく、互いに影響され、共感できる場をつくることを目指す。信仰が試されるが「人間とは何かを知りながら、自分とは何かを知っていくのが仏教であり、まさしく僧侶にほかならない」と言う。

根本住職が自死・自殺の問題に向き合うのは、自らの体験が大きい。小学生の時、叔父が自死した。そのショックで祖父が階段から落ちて植物状態になった。それにとどまらず、中学時代に仲が良かった同級生が、高校生の時に自死した。また脱サラし小僧生活を経て、27歳で正眼僧堂(岐阜県美濃加茂市)に掛搭する直前、高校時代のバンド仲間が自ら命を絶った。「もう勘弁してほしいと思った。修行中も、一時は彼のことばかり考えていた」

それらの体験を通して思うのは「人の命はあっけなく、また尊いということ。自死は加害者と被害者が同じで、気持ちの持っていきどころが無い。遺された者は何もできなかった自責の念が募る」。

4年半の僧堂生活の後、修行の成果がどこまで社会に通用するかを確かめたいと、アルバイトをしながら職場仲間の相談にも乗った。

最近は、自死・自殺の悩みの相談を受けると、気が重くならないかと問われるが、「相談者と対話を終える時、新たな気付きや反省、またそれまでの見え方が少しでも変わる終わり方をすれば、私の場合は良い疲労感だけが残る」と言う。

根本住職は、東海地方の宗教者が超宗派で集まる「いのちに向き合う宗教者の会」代表でもある。今年も12月、7回目となる自死者追悼法要を営む。また遺族の要望で年4回の茶話会を始め、毎回15~20人が来場し、ひとときを過ごしている。