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赤ちゃんポストを関西に 「いのち守る」取り組み広がる(6/6ページ)

2016年7月27日付 中外日報(深層ワイド)

「いのちのハードルは高く」が基本 ポストはあくまで緊急避難措置

金子昭・天理大おやさと研究所教授に聞く

関西での「ゆりかご」設置の運動について、生命倫理に詳しい金子昭・天理大おやさと研究所教授に、天理教の立場や信者・研究者としての考え方を聞いた。

天理教の教団としては、特に「こうのとりのゆりかご」の動きについては関わっていません。

天理教では、家庭に恵まれない子どもの健やかな成育を願って、里親活動(養育里親)に力を入れています。

どんないのちでも尊重し、大切に育てていくことは「親心」の発露としての「おたすけ」です。

「ゆりかご」の試みは、もしこれがなければ救われなかったであろういのちを救ってきたという意味で、天理教の教えの上からも一定の評価と敬意を表することができると思います。

「ゆりかご」の存在意味は、しかしあくまで緊急避難的措置としてのものではないでしょうか。

仮にこれが文字通り「ポスト」のようにあちこちに設置されてしまえば、それこそ「赤ちゃんポスト」として新生児の安易な遺棄につながるのではないかとも想像しています。

実際にはそうした事態にならないでしょうが、しかし匿名による新生児保護の施設が日常的存在になってしまえば、逆にいのちの尊厳に対する人々の感覚を麻痺させてしまう危惧があります。

私は、むしろ「いのちのハードル」は高く設定しておくことが、宗教(宗教界・宗教者)として基本的な姿勢ではないかと思うものです。

「赤ちゃんポスト」はどこまでも緊急避難的措置であって、いわば“最後の手段”です。これを基準にしては、「いのちのハードル」を低めることにつながり、本質を見誤ってしまう恐れがあります。

本来、いかなるいのちであっても無条件に尊厳を有し、その基本線は決して崩してはいけないものです。そのためには、宗教には常日頃からあらゆる機会を捉えて、人々にいのちに対する畏れと敬いの気持ちを育んでもらい、同時にまた追い詰められた人を社会全体として支援していけるよう啓発していくという使命があります。

また、宗教の立場としてもそれにとどまらず、「赤ちゃんポスト」を必要としない、いのちを大切にする社会の仕組みづくりに自ら取り組んでいくよう、努力していかなければなりません。

この基本姿勢に基づき、いのちの尊厳を広く社会に訴えていく一方で、臨床現場においては緊急避難的な方法で個別に悩み苦しむ人を救っていくという二正面作戦が宗教には求められます。

なお里親もそうなのですが、本当の問題は赤ちゃんや子どもを自らの手で育てられない親への支援の不備にあります。

家庭の機能がうまくいっておらず、社会的にも孤立してしまっているために、赤ちゃんを「ゆりかご」に預けたり、子どもを児童養護施設や里親に委託するような事態になっているわけです。

社会的存在として、宗教はむしろそのような家庭をこそ側面から支援していくべき使命があるといえるでしょう。

「ゆりかご」の在り方については、新型出生前診断の現状が参考になると思います。

当時、少なからぬ識者が抱いていた危惧が現実のものになりました。

それは、妊婦の血液検査という手軽な診断法で胎児の異常が分かることで、逆に安易な人工妊娠中絶が増えるのではないかということです。

実際、メディアの報道等によれば、新型出生前診断により胎児の異常が確定した場合、9割を超える人が中絶を選んでいるわけです。

本来の在り方からすれば、胎児の異常に気付いた時点で、出産後の様々なケアの事前準備を図っていくということが狙いだったはずです。

こと「いのち」に関わる問題では、アクセスが容易になることで、逆にそれによって安易な解決を選びがちであることにも十分留意すべきではないでしょうか。