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東日本大震災6年 七回忌それぞれの思い(3/3ページ)

2017年3月15日付 中外日報(深層ワイド)

豊山派清水寺 林心澄住職原発事故どう伝えるか考え込む

完成した慰霊堂「慈眼院」の前で離散した檀家を思う林住職(福島県相馬市で)

「地震の甚大な被害に加え6年の間、高線量のため手付かず状態で荒廃した寺の再興は容易ではありません」。原発事故で避難を強いられた福島県浪江町、真言宗豊山派清水寺の林心澄住職(49)は、各地に散り散りになった檀家に出した新年の挨拶状にこう書いた。避難先の同県相馬市内に住宅の「別院」を構えて1年半になる。機会ごとに「避難後一度もお会いすることなく亡くなられた檀家様もあり菩提寺住職として慙愧に堪えません」「当初は2、3年で帰還できると甘い認識でしたが、めどが全く立ちません」などと苦悩のメッセージを送ってきた。

ある年は、境内がきれいに草刈り、掃除されていて不思議に思ったら檀家の奉仕と分かった、との喜びもつづられた。遠方へ避難中の70代の夫妻だった。「檀家とのつながりは住職よりお寺を思う気持ち。そこにご先祖が眠るからです」。だが二十数年前に縁あって27歳で同寺に入った林住職自身も、周囲からかわいがられた。「心澄会」という酒を飲みながら寺の将来を話し合う会もでき、裏山で花見ができるようにと桜を植樹し遊歩道も作った。それが原発事故で駄目になった。

まだ雪が残る浪江町の帰還困難区域は市街地でも人の気配はなく、放置された家々が朽ち果てるまま。清水寺は獣害も重なり無残なありさまだ。住職はせめて檀家の遺骨を仮安置する場にと境内にユニットハウスを設置し、現在10柱が納骨されている。浪江に戻るかどうか住職の気持ちは揺れ動く。寺が整ってもライフラインもなく、住民が戻らなければ何にもならないからだ。

檀家の津波による死者2人のうち69歳の女性は流されて大量に汚水を飲み、いったん救助されたものの、避難で体調が悪化して亡くなった。他に避難先で病死するなどした150人近い檀家もいて、住職は「全て関連死です」と険しい表情で異郷での往生を思いやる。七回忌の日、特に行事はせず日常の法事を営んだ。毎年そうしている。「皆さんの命日ではない。そして事故はまだ続いているのです」

月に10日は、遠くは千葉や川崎まで檀家を回る。震災後に買った車は既に乗りつぶし、今のも走行距離は10万キロ近い。何年ぶりかで再会する高齢の檀家は涙で手を握ったが、住職のたばこは増えた。この6年間に「以前は頭で理解していた無常感が、より深く身に染みた」と林住職は言う。

宗門の有志の寄付で慰霊堂「慈眼院」が市内の寺に完成した。林住職ら近隣寺院が管理し、希望があれば他宗派の震災犠牲者でも納骨を受ける。「死者を弔うのは僧侶の当然の役目。同時に当事者として震災と原発事故を後世にしっかり伝える責務がありますが、どのように伝えるか……」と林住職は考え込む。

3・11が近づき宮城や岩手の各地では報道陣や見学者の団体が目立ったが、福島ではその姿は見えない。隣接する双葉町にもまだまだ廃虚が広がる。厳重警備の発電所構内では事故の後処理作業で動きが見えるが、外の無人の地区では放射線量が毎時7マイクロシーベルトまで跳ね上がった。