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寺はよみがえるか ― 変わる葬儀

2017年6月16日付 中外日報(寺はよみがえるか)

所属1万カ寺を超える日本有数の伝統仏教教団の幹部は「これからの時代、農山村に寺院が多い我が教団が最も深刻な状況を迎えることになる。社会から、人々から本当に必要とされ、選ばれる僧侶や寺院に生まれ変わらないと」と表情を引き締めた。少子高齢化や過疎化の進行、長引く経済不況、そして江戸時代から長年にわたって伝統仏教教団の寺院を支えてきた檀家制度の崩壊。これまでも右肩下がりと言われ続けてきた仏教界は、ますます厳しい「冬の時代」を迎えようとしている。しかし、このことが直ちに仏教の危機を意味するわけではない。2500年余りにわたり人々に受け継がれてきた釈尊の教えはこれからも不滅のはずだ。その真実の教えがどうして人々に伝えられなくなっているのか。長期連載によって現場の僧侶や寺院の実情に迫り、その理由を明らかにしていきたい。「日本仏教のよみがえり」を願って。第1章は「葬儀」を取り上げる。(連載取材班)

消える祭壇宗教儀礼よりも別れを重視

遺体を安置するために使用される部屋。座卓の向こうには遺体を横たえるための布団が敷かれていた
遺体を安置するために使用される部屋。座卓の向こうには遺体を横たえるための布団が敷かれていた

「これが、だいぶ増えてきているんですよ」。京都、滋賀、大阪で葬祭会館を運営する「洛王セレモニー」事業戦略グループ部長の角野拓人さん(32)は、パンフレットの中からプランの一つ「会館火葬13」を指さした。

会館の控室や専用の安置室に、病院などから遺体を運び込んで納棺する。本尊を祀る祭壇はなく、僧侶による供養は基本的にできない。ほとんどは翌日に火葬する。一般価格は16万円で、無料会員登録すれば13万円に割引される。

京都市南区の洛王セレモニー桂ホールの控室。10畳ほどの和室に浴室とトイレがセットになっていて、遺族が仮眠もできる。部屋の中央には座卓があり、電子レンジや冷蔵庫も据え付けられている。奥には遺体を横たえるための布団が敷かれ、線香や灯明といった枕飾りが置いてあった。ここで遺体は一夜を明かし、時間になると遺族らが焼香して出棺となる。そこに僧侶の姿はない。

「マンションや集合住宅に住んでいて自宅に帰れない場合や、かつ親戚が近くに住んでいない場合に遺族の方が選ばれたりします」と角野さんは説明する。

同社は昨年度に約3200件の葬儀を受注した。10余りあるプランの中で選択される割合が多いのは、通夜と葬儀を営む80~120万円台だが、全体の2割ほどが「会館火葬13」だという。

角野さんによると、「お寺さん(菩提寺)も分からないので、簡単に済ませたい」というケースが多いという。「亡くなられた方のご子息やお孫さんが、お寺との付き合いを知らないために、火葬するだけでいいですよ、というのが最近増えているんです。宗教儀礼を大切に思う気持ちが薄れているというのが私の印象です」

葬儀の場から祭壇が姿を消すのは、費用を低く抑えるという理由だけではない。葬祭サービス大手グループ・燦ホールディングス経営企画部担当課長の廣江輝夫さん(63)は「大きな祭壇は、あくまで大勢の会葬者がいるから必要だった。家族葬になると棺が中心になってくる」と事情を解説する。

廣江さんによると、「家族葬」という言葉が生まれたのは2000年頃だった。長引く不況の中、小規模で安価な葬儀を求める消費者のニーズを踏まえ、ある葬儀社が広告戦略として打ち出した。次第に家族主体の理想的な葬儀というイメージがつくり上げられ、社会に肯定的に受け入れられた。

「昔は、会葬者が良かったと言うのがいいお葬式。今は故人と遺族がコミュニケーションを取ることができること、最後のいいお別れができることが重要になってきている」

亡くなった人が好きだった花や、思い出の写真を飾るなど、故人を偲ぶ要素がより多く取り入れられるようになった一方で、宗教的な色合いが次第に希薄になっていった。

だが葬儀を無宗教にした場合、後になって戸惑いを感じる遺族もいる。無宗教になれば、年忌法要など故人に思いを寄せる節目が巡ってくることもない。「葬儀の時はよくても、一周忌、三回忌といったプログラムがないために、その後の供養で困ることもある。命日に何をすればいいのか、自分で決めなければならなくなる」と廣江さんは明かす。

廣江さんは、遺族の悲しみを癒やす宗教の役割に期待する。「祈るしかできない状況がある。医療が太刀打ちできないスピリチュアルペイン(心の痛み)は、薬では取れない。これに対応できるのは宗教的ケア。私たちが絶対に言えない『あの世』を、宗教者は説くことができる」