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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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寺はよみがえるか ― 変わる葬儀

2017年7月7日付 中外日報(寺はよみがえるか)

不慮の死騒然とした現場で読経

阪神・淡路大震災から1カ月後の神戸市長田区内。地元の長田区仏教会の僧侶が読経して物故者を慰霊・追悼した(1995年2月)
阪神・淡路大震災から1カ月後の神戸市長田区内。地元の長田区仏教会の僧侶が読経して物故者を慰霊・追悼した(1995年2月)

停電で薄暗く、冷え冷えとしたホールに無数の遺体が並べられていた。

阪神・淡路大震災が起きた1995年1月17日の午後、神戸市長田区の黒澤正往・真宗興正派勝覺寺住職(53)は大勢の犠牲者の遺体が運び込まれた近所の葬儀会館で「ここはあの世なのだろうか」と思った。

自坊も被災した。日頃から付き合いのある近所の法中寺院の住職夫人が亡くなったとの知らせが入り、ジャージの上に衣と輪袈裟を着けてその葬儀会館へスクーターを走らせた。夫人の枕経を勤めるためだった。

夫人の遺体の前で読経を終えると、同じように家族を亡くした人々の嗚咽や「なんでや!」などと叫ぶ声で周囲が騒然としているのに気付いた。そして「うちにもお経を上げてください」と次々に裾を引っ張られた。

「悲しいなんて考える状況じゃない。請われるまま、15~20人の方の枕経を勤めたと思う」。読経を続けると、騒然とした空気が鎮まっていったことを覚えている。

「生きていれば、私ではなく医者の袖を引っ張っていたはず。僧侶には僧侶の役目があるのだと思った」と振り返る。

「衣を着ている以上、僧侶は仏様とのご縁をつくるプロだ」という黒澤住職は「亡くなった方は私が必ず遺族の方が納得できるよう精いっぱいのことをするから皆、心配しなくてもいい。それが宗教者の役目だと考えている」と強調した。

同市北区の村田延子さん(69)は同じ日、娘の恵子さん=当時(21)=を亡くした。兵庫県芦屋市の自宅が全壊し、下敷きになった。大学の卒業論文を書き上げた翌朝の悲劇だった。同県姫路市の親戚を頼り3日後、同市内の斎場で葬儀を行った。

着の身着のままで、お金も持ち合わせていない。喪服や葬儀費用は友人に借りたが、満足な身なりではない。「『なぜこんな葬儀をしなくてはならないのか』という屈辱と悲しみ。駆け付けてくれた菩提寺の住職にお礼も言えなかった」

村田さんは「あの時は何もかも不自然な気持ちだった。だから葬儀はきちんとしなくてはならないと思う。知り合いに不幸があれば、そう勧めている」と話し、こう続けた。「震災後、折に触れて恵子からの“はたらき”を感じる。私は死後の世界は確実にあると思っている。恵子に会うために安心して次の世界にいくため、宗教者にきちんと送ってほしい」

2010年1月に宗教学者の島田裕巳氏が『葬式は、要らない』を刊行した後、仏教界では「葬儀無用論」の広まりが懸念された。しかし、翌年3月の東日本大震災を機に、犠牲者の慰霊・鎮魂や遺族の心のケアなど、葬儀の意味が見直されたともいわれる。

津波で檀家が29人亡くなった福島県大熊町の半谷隆信・真言宗豊山派遍照寺住職(66)は「震災後、四十九日や百か日など法事の依頼が増えたと感じている」。

しかし、神戸市長田区の五百井正浩・真宗大谷派玉龍寺住職(52)は「一部の人を除けば、震災があったからといって葬儀への認識が特別に改まったとは思えない。多くの人は当事者ではないのだから」と言う。

岩手県陸前高田市の男性(69)は家族は無事だったが、震災後に様々な葬儀に参列した。「震災前は火葬後に地域の人らで行列を組んで菩提寺まで遺骨を運ぶ習慣が当たり前だったが、震災後は葬儀社の会館で小規模な葬儀にする人が増えた。皆が被災に苦しむ中、地域の人に負担をかけたくないと考えるからだ。やむを得ない」と語った。