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この思い、亡き人に届け(1/2ページ)

2016年3月11日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

風の電話「もしもし」心の通話

木立に囲まれた「風の電話」のボックスからは遠くに海が見渡せる(岩手県大槌町)
木立に囲まれた「風の電話」のボックスからは遠くに海が見渡せる(岩手県大槌町)

「もしもし パパ 僕ね ママと一緒に頑張っているからね 応援してね」。受話器を握り締めた男の子の声が響く白い電話ボックス――。大きなガラス窓からは遠くの入り江が見える。5年前に多くの命をのみ込んだ海は静かにきらめき、じっと目を閉じると、冬枯れのこずえを震わせる風がかすかな潮騒の音を運んできた。

岩手県大槌町浪板の高台にある「風の電話」。東日本大震災の2カ月後、この地の庭園デザイナー佐々木格さん(71)が、大事な人を失った遺族が故人と語る場にと開設した。バラやハーブを植えた広々とした欧風庭園の片隅、石の舗道の先にある三角屋根のボックスの黒電話には、回線はつながっていない。

だがここを知った様々な人が、亡くした最愛の家族に声で思いを伝えようとはるばる遠くからも訪れる。備え付けのノートにも「あなたを忘れない」「今でもそばにいるみたい」との書き込み。男の子も呼び掛けを記していた。

以前親しいいとこが病死した衝撃が、佐々木さんが電話を思い付いたきっかけだった。そして震災では、「誰もが勤めや学校へ出掛けたまま、突然に帰らなくなった。死者の思いが残り、残された人も言いたかったことがある。それを口に出すことができればと」。佐々木さん自身も親戚を津波で亡くした。

訪れても何も話せずに帰る人もいる。何度か通い詰めてようやく声が出る人も。妻を失い、50キロも離れた町から来た男性は、ボックスに座り込んだまま大声で泣き続けた。少し離れた自宅で見守る佐々木さんが声を掛けることもあり、「他人と話すのさえ苦しいときに、電話まで行こうと思ってくださるだけでも気持ちの支えになる」と言う。これまでに延べ1万8千人近くが足を運んだ。

「自分の力で生きてきたと思っていたが、震災の悲惨さを見て、人はいつ亡くなってもおかしくない、私もと思った。今あるのは何か大きな力に生かされているから。その生をいかして、少しでも人のために生きたいのです」と佐々木さん。中年夫婦が電話をしてすぐに帰った。ノートに男性の名前と「早く帰って来い」と訴えが書いてあり、行方不明だとすぐに分かった。佐々木さんはその夫婦を捜し出し、小さな手作りの地蔵を渡した。戻って来ない20代の息子を思う糧に。

今年に入って毎日のように誰かが訪れる。悲しみは消えない。母親、妻、娘を全て亡くした男性が、気持ちを吐き出した手紙を置いていった。「5年たっても時間では解決できないのです。故人とつながれないと、残るのは絶望だけ。でも、わずかでも希望がないと生きていられない」。電話で心を伝え、重荷の半分を置いていく。それで少し生きる望みが見える。そのことを、佐々木さんは訪問者から聞いた。