ニュース画像
大谷光淳門主が臨席した開繙式(18日、龍谷大大宮学舎本館)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

2.仏壇と同じ祈りの場

2016年3月16日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

大槌町・吉祥寺

多くの職員が犠牲になった大槌町役場旧庁舎前には祭壇と地蔵像が(岩手県大槌町)
多くの職員が犠牲になった大槌町役場旧庁舎前には祭壇と地蔵像が(岩手県大槌町)

津波による身元不明遺体が74体にも上る岩手県大槌町で、その遺骨を安置する3カ寺を巡礼のように巡る60代後半の女性がいる。同町吉里吉里の曹洞宗吉祥寺では女性は、犠牲になった198人の檀家の位牌が並ぶ「開山堂」に参り、上段にある十数柱の身元不明者の骨壺に合掌する。

娘と孫がなお行方不明。ひょっとして遺骨のどれかがそうではないかと5年間、通い詰める。高橋英悟住職(43)が「最近どう?」と声を掛けると「わあーっ」と大声で泣き、時によっては無言で沈み込む。よく姿を見せることもあれば2カ月も来ないということが、そのまま不安定な心の起伏を物語るようだ。

突然に失われたものはあまりに重く、大きい。同町では震災犠牲者の思い出を記録にしてとどめようと、不明者426人、関連死50人を含む1285人を対象に「生きた証プロジェクト」を、一昨年秋から高橋住職が実行委員長になって進めている。委嘱した大学生ら20人の専門調査員が、これまでに650人について遺族らから聴き取りをした。

享年63歳のKさんは、中学を出て長く建具職人をし消防団員として活躍、酒は飲まないが宴席では踊りを披露して皆を楽しませた。震災時は家族に「逃げろ」と言い残して出動し、堤防近くにいた高齢者を助けようとして流された。妻は「お前は自分の人生をやれ、って言ってる気がするので、一緒にできなかったことを頑張ってやります」。

記録は、遺された者が残された命をしっかり生きていく糧になる、そう意義を語る住職は、「大切な人を思うことで、その人が生きてきたおかげで私たちが生きていることに気付く。それまで悲しみだけだったのが、話すことで生きる大切さが分かるのです」と言う。

29歳で3児の母のOさんは水産加工会社に勤めていた。地震の後、車で大槌小へ走って5年の長男I君、4年の長女Rさんを迎え、次女の保育園児Tちゃん(5)を避難先のコンビニから引き取って、高台の城山に向かう途中に被災。4人の遺体は1カ月半後に身元が確認された。「いつも笑顔で美容師が夢。子育ては百点満点でした」と嗚咽しながら語った母は「私も笑顔を忘れないようにしなければ」と。

聴き取りには地元の寺の住職たちが案内役を務める。役場でも分からない近況や連絡先を把握している上に、遺族の悲しみの上塗りにならぬよう心掛けることができる。1年近く続けて、高橋住職は「前を向き始めた人と力を失ってできない人との格差が広がっている」と実感する。話を聴いて記録して終わり、ではなく「その縁で今後も寄り添うことが大事。話すことさえ困難な方はなおさら」と強調し、役場も担当職員を決めた。

話の中で当時の様子が浮かび上がり、大切な人の最期を知りたい遺族の思いに応えることになるケースも。消防団員として「殉職」したといわれていた女性は、自治会役員に「頑張って救助活動を」と言われたことが避難する妨げになっていた。津波が迫る中、町長をはじめ40人の職員がぎりぎりまで勤務を続けて命を落とした町役場でも、生き残った職員の証言で状況が判明した。

廃虚のまま残るその旧役場庁舎は、解体するか惨事の教訓として残すかとの論議になった。「気持ちが暗くなるので見たくない」との意見。高橋住職は「証言で浮かび上がったことをしっかり検証して将来への教訓にしなければ」と保存を訴える。地元仏教会も同様だ。「復興研究会」をつくって町内の定点観測や各地への見学をしている大槌高の生徒らが町へ保存を申し入れ、結局、当面は残すことになった。崩れた外壁にあの日止まったままの時計が掛かり、骨組みが露出する庁舎の前には住民らによって祭壇が設けられ、合掌する地蔵像が立つ。

この11日、5年の追悼法要が吉祥寺で営まれた。住職と各地から参列した曹洞宗の僧侶らが、多くの死者が出た海辺近くの町内を慰霊行脚した。そして、旧庁舎の前でもしめやかに読経が行われた。「やはり、これから未来を築いていく世代が決めるべきです。ただの廃虚ではない。皆さんが手を合わせ祈ることによって、魂が入るのです」。それは例えば墓や仏壇とも同じだと住職は考える。これもいのちの記憶、「生きた証」なのだと。

(北村敏泰)