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3.「津波だ逃げろ」競走に

2016年3月18日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

釜石市・仙寿院

多くの参加者が津波避難を想定したコースを駆けた「韋駄天競走」(2月7日、岩手県釜石市の仙寿院前で)
多くの参加者が津波避難を想定したコースを駆けた「韋駄天競走」(2月7日、岩手県釜石市の仙寿院前で)

風は冷たいながら快晴の空の下、様々な年齢層の男女112人が白い息を吐きながら急な坂道を駆け上がった。若者から老人、親子連れも。岩手県釜石市で2月7日に行われた節分行事の第3回「新春韋駄天競走」。海岸を見渡す市街地の高台にあり、震災時には多くの市民が避難した日蓮宗仙寿院の芝崎惠應住職(59)が、津波からの避難を年中行事の形にして教訓を伝えようと、同市出身者による支援団体「釜石応援団」と共に考案し、2014年から始めた。

被災者も含めて年々参加者は増え、今年は部門を増設、津波浸水域から寺境内まで高低差30メートルの参道286メートルを走った。優勝者は「福男」「福女」として豆まきに参加してもらう。ゴールの本堂前でレースを見守る芝崎住職は、あの日が思い出された。千人近くがこの坂をつんのめるようにして走り上り、この日の最高齢参加者の女性(85)もそうして難を逃れた。

住職は表彰式で、「5年がたちましたが、あの時のこと、教訓を伝えるということを忘れず、そして伝える実践をしてください」と強調した。参加者たちはうなずいた。そして、マスコミの取材に誰もが「津波避難の催しだからこそ参加しました」と答えるのを見た住職は胸が熱くなった。安置所で何百人もの遺体に読経し続けたこと、800人もの避難者を苦難の中で支え続けた日々がよぎる。

市中心部には新しく巨大ショッピングモールなどもオープンし復興が進んでいるように見えるが、郊外にはそこここに廃虚が残る。地区ごと壊滅した鵜住居はかさ上げの盛り土が延々と続き、人々の生活の気配さえ消えた。芝崎住職は「今になって皆の精神的苦痛、PTSD(心的外傷後ストレス障害)がひどくなっています」と顔を曇らせる。

「自死しそうな人がいる」と聞いて訪ねた70代の漁師の男性は津波で妻も自宅も船も失った。ローンも組めず、かさ上げ後に建設される復興住宅に入る望みにすがって仮設住宅で我慢してきたが、行政から突然「5カ月は遅れる」と告げられた。延期はもう何度もだ。絶望から緊張の糸が切れ、「死にたい」とばかり言う。体調を壊して長く寝込む人も目立つ。

国の調べでは各地で17万人以上がいまだに避難生活を強いられている。震災関連死は3400人を超え、大半が65歳以上の高齢者。自死は160人に上り、その主な動機は健康問題、生活、家庭問題だ。

芝崎住職ら釜石仏教会の有志は仮設団地を回って傾聴活動を続ける。「うちに帰ると『かあちゃん、ただいま』って言ってしまう。もういないのに」。当時を涙で話す人もいるが、皆が孤独を訴える。「悲しみが5年を経て寂しさになった」と住職。

仙寿院では身元不明の遺骨を預かり、毎朝勤行を続けている。昨年、3人の身元がDNA鑑定で判明した。以前に夫=当時(89)=だと身元が分かったが預け続けている妻(90)がいる。墓も家もなく、「もう先長ぐねえから、私があっち行く時に一緒に葬ってほしい」と懇願された。こんな時にも寺は頼りにされている。

この11日、各地から日蓮宗の若手僧侶が参列して営んだ寺の追悼法要で、芝崎住職は被災者が早く立ち直れるようにと祈願した。「ことさら祈りに力を込めました」。5年の歳月は重くのしかかる。テレビでタレントが「ずっと前、震災あったよね」と話すのに住職はがくぜんとした。「国会でもオリンピックは論議しても、復興予算の質問はほとんどない。『復興五輪』などと、震災をダシに使ってほしくない」。押し寄せる風化が住職の心に突き刺さる。

韋駄天競走には、“手本”とした兵庫県西宮市の西宮神社の開門神事「福男選び」レースの関係者が、被災地応援メッセージの入ったランニング用手袋を贈るなど、両者の交流が始まっている。1月10日のえびす祭で行われた神事に昨年の韋駄天競走で優勝した若者が参加した。

今年の競走にも支援に釜石を訪れ参加もした開門神事講社の平尾亮さん(39)は、阪神・淡路大震災後に同神社のレースを走って以来、復興応援のトレーナーを着続ける。「災害から年月がたつほど心の支えが必要。被災地同士のつながりが大事です」

(北村敏泰)