ニュース画像
倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

9.祈り込め踊りで支援

2016年4月8日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

神戸の舞踊家

被災地への思いを込めた藤田さんの創作舞踊「届ける」は、エネルギーに満ちる
被災地への思いを込めた藤田さんの創作舞踊「届ける」は、エネルギーに満ちる

東日本大震災によって親を亡くした「震災遺児」は、厚労省の調べによると東北3県で1567人に上る。支援団体「あしなが育英会」の調査では、大部分が悲嘆を訴える一方、4割近くが死亡した親のことを話さないといい、「生き残ってつらい」と話す子も。全体の半数以上が、暗闇を怖がるなど被災体験により心身に影響を受けていると認められた。

震災遺児のうち両親ともいない「震災孤児」は計240人で、宮城県では130人。ほとんどが親類などに引き取られているが、数人が児童養護施設で暮らす。県北部では施設は気仙沼市の1カ所だけ。その社会福祉法人「旭が丘学園」は郊外の小さな山の上にあり、訪れた時は子供たちが昼食を囲んでいた。2歳半から高校生まで全園児計69人の生活に、震災前は様々な団体や企業などが援助の手を差し伸べていたが、被災によってそれが滞る例も目立つ。小原善博園長がそんな苦しい事情を説明してくれた。

ここへ神戸市の舞踊家藤田佳代さん(73)の舞踊研究所が、モダンダンスによる支援を続けている。藤田さんは阪神・淡路大震災で自宅が全壊、研究所も被災した。東日本大震災の惨状には「頭が真っ白になり」、知人を介して縁のできた同学園に、研究生からも募って義援金や救援物資を送ったのが始まり。

6月には「私たちにできることは踊り」と、テレマン作曲「12の幻想曲」に振り付けた創作ダンスを研究生ら70人が踊り、DVDに収録して送った。「きょうも生きてあしたも生きて あさっても」と題したメッセージ映像には、心の苦悶や希望への羽ばたきが表現され、園児たちは自分たちと同世代の子供たちも含めた踊り手の躍動に目を丸くして見入った。

「大変な時にあれで良かったのか」。藤田さんには悩みもあったが、研究所教師の金沢景子さん(53)がその後に現地をボランティアで訪れると感謝の言葉を受けた。翌年からは毎年、神戸での秋の発表会に中学生の園児2人を1泊2日で招待している。大きなホールでのライブの公演、そして合間には動物園や異人館街など神戸見物。「子供らにはカルチャーショックで本当に大喜びです。離れていてもつながっていることが、心の励みにもなります」と小原園長はうなずく。

メーンの演目は「届ける」という、藤田さんが初めて作舞も音楽も手掛けた震災犠牲者への鎮魂の曲。演者が素足で床を踏み、手にした下駄を打ち鳴らす。客席に配した男性ダンサーたちが手拍子と足踏みで呼応する。天を仰ぎ腕を差し上げるダイナミックな踊りだ。阪神大震災以来、「いのち」をテーマに芸術活動を続けてきた藤田さんは、「被災体験を乗り越える努力をしてきたが、3・11で人間の無力さを思い知らされました」と語る。そして「踊りを分かるとか分からないではなく、見終わって、明日も生きようという気持ちが湧いたらいいなと」。

どんなにつらく苦しいことでも永久には続かない、ふとわずかでも心が軽くなる。まるで「祈り」と同じように、それが自分のダンス、芸術の力でありたいとの信念がある。大地震が神戸の街を破壊した時も、絶望の中から「せっかく生き残ったのだから、悔いがないように踊りにしがみついて生きましょう」と教師たちに呼び掛けた。「あの一言でリサイタルに向けて頑張った。今も、同じ気持ちで東北にもつながり続けたいです」という金沢さんは、体に不安のある藤田さんの思いも受けて毎年のように気仙沼を訪れ、この春も赴く。

東灘区の研究所の周辺には阪神大震災の痕跡は見られなくなり、ほとんどが当時を知らない世代の生徒たちが楽しくレッスンに励んでいた。指導する藤田さんは、今年も旭が丘学園の園児を招く秋の発表会のプログラムをこれから練り上げる。「いま最年少の園児が大きくなって神戸まで来られるように」、10年間は招待の交流を続けるという。

レパートリーには、震災と原発事故の犠牲になった全ての生き物の命に思いを重ねた「福島の土の神よ立ち上がれ」という作品がある。「原発に象徴されるような人間の傲りに対する答え」と藤田さんが願いを込めた「神」が登場し、汚染された大地の下からよみがえる。「永遠のいのち、人間を超えた大きなものには敬意を払わなければなりません。絶望し苦しむ人を、理屈ではなく『大丈夫』と抱き締め救ってくれるもの」。そう期待する宗教と、そして芸術とが、藤田さんの中で重なり合っているようだ。

(北村敏泰)