ニュース画像
倒壊した浄土真宗本願寺派法城寺の鐘突き堂(むかわ町)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

10.悲劇伝えるのが供養

2016年4月13日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

石巻市・大川小跡

校門前の祭壇で、福井住職と共に祈る佐藤さん(宮城県石巻市の大川小跡で)
校門前の祭壇で、福井住職と共に祈る佐藤さん(宮城県石巻市の大川小跡で)

3月11日、児童74人と教職員10人が津波の犠牲になった宮城県石巻市の大川小跡で行われた慰霊式に、佐藤敏郎さん(52)は他の遺族らと共に参列し廃虚に手を合わせた。6年生だった次女みずほさんを安全なはずの学校で亡くした佐藤さんは、震災後も女川町立女川第1中で続けていた国語と防災教育担当の教諭の職を昨年3月に辞し、NPOスタッフとして教育現場や様々な場に赴いて震災の教訓や防災の重要性を訴える幅広い仕事をしている。

その一つが「語り部」の活動。あの日、同小では津波警報が出た後に児童らは50分間も校庭で待機させられた。教員たちも子供らを励まし、彼らのことを守ろうとしなかったわけでは決してない。だが、命を救うためのコミュニケーションがなく組織として機能しなかったのではないか――そう考えた佐藤さんは「まず命を第一に、逃げろと叫ぶべきだった」と伝えるのが使命だと信じる。

各地から多くの人が見学に来る現場で、「皆さんが今立っている場所は街でした」。そして校舎の残骸の裏山を指し「授業でも登っていたのに、当日はそこへ逃げる指示がなかった」と状況を詳しく説明する。「直前まで楽しく学び遊んでいたのに、それが失われたことを実感してほしい」という佐藤さんが訴え続けるのは、「いのちの重み」だ。現場で語るほど、また同じ年頃の子供が相手であればなお、次女のことを思う。

「悲しみが消えるわけはありません。みずほと一緒にいる気持ちで、自然なものとして傍にある悲しみも伝えたい」。わずかな時間立ち寄るだけの見学者でも、きちんと話を聞いて考えてくれれば救いだ。この1年で、数人グループからバス8台の修学旅行まで出動は五十数回に上った。

この2月、佐藤さんと近くの幼なじみの福井孝幸・浄土宗大忍寺住職(49)とが一緒に、校門跡に設けられた祭壇に祈る姿があった。零度近い冷え込みで遺族が供えた花入れには厚い氷が。北上川から吹き付ける風で住職の衣が翻り、合掌する手が凍える。しかしあの時、子供らはもっと寒かったのだ。住職は今も月に何度もこの場所へ読経に通い、3月11日には自坊で犠牲者の合同慰霊法要を営んだ。「私にとってはそれが、震災を伝え残すということです」

5年たっても地区は更地のままで復興の見通しもない。4年生だった次男を亡くした住職の同級生の男性は震災の事を語りたがらず、学校跡を見物に来る人たちの心ない態度につらさが募るという。そんな人たちには福井住職も「ここでどれだけの命が失われたか考えてほしい」と諭す。

この場に来る時は僧侶として気持ちが引き締まるという住職は「記憶を伝えるため、きちんとした形で校舎を残してほしい」。佐藤さんも現場にせめて当時を説明する案内板は欲しいと訴えた。そんな遺族らの願いは広がり、長女そのみさん(19)ら卒業生らの申し入れもあって市は先日、校舎を震災遺構として保存することを発表した。

佐藤さんは、例えば研修で「語り」を聞いてくれた高校生らが自分たちの学校の防災に取り組み、「人のいのちに目が向くようになった」と、震災を「自分事」として捉えてくれたことに手応えを感じる。「言葉でしっかり伝え、それぞれで考える姿勢を広げることが大事なんです」

女川1中では震災後に生徒が俳句を作る指導をし、その作品が今年度から中学の国語教科書に掲載された。「みあげれば がれきの上に こいのぼり」「夢だけは 壊せなかった 大震災」。あれから5年、佐藤さんは「子供が成長して社会に出たような」気持ちで、「生徒たちの手を離れた句が読む人の学びになれば」と期待する。

自らも授業用副読本など様々な冊子に、大川小の教訓や命を守るための取り組みの重要性を書きつづる。そこに付け加える。「今日も家に帰れば娘の『中学校は楽しみだなぁ』という声が聞こえるような気がします」。みずほさんは1週間後の卒業式で同級生とピアノを弾くはずだった。「夢に出て来る娘はいつも笑顔です」

佐藤さんは「やれること何でもやっていきます」ときっぱり言う。そして「ほかの人にはない力で祈ってもらえることはとてもありがたい」と宗教者にも期待する。まだ行方不明の子供もいる。地区の住民もそうだ。「悲しみが続く場では、5年なんて節目でも何でもない。私も体が、足が動く限りここへ供養に通い続けます」。福井住職はそう答えた。

(北村敏泰)