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11.若者に霊的な学びも

2016年4月15日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

神戸からのボランティア

神戸・元町通で「復幸米」を販売しながら被災地の現況を訴える神戸国際支縁機構の若者と岩村牧師(中央奥)=2月11日
神戸・元町通で「復幸米」を販売しながら被災地の現況を訴える神戸国際支縁機構の若者と岩村牧師(中央奥)=2月11日

震災で最も死者が多かった宮城県石巻市内、中でも被災面積が最大の渡波地区には津波の傷痕が目立つ。神戸国際支縁機構のボランティアがここへ通うのは4月で62回目。地球3周に当たる計12万キロを車で往復、1回に数日ずつ延べ7600時間以上になる。神戸国際キリスト教会の岩村義雄牧師(67)が震災3日後に仲間と救援物資を持って訪れ、援助の手が滞る同地区に入ったことがスタートだった。

避難所での炊き出しやがれき撤去を経て、孤立した自宅暮らしの被災者の傾聴活動へ広がり、2年目以降は、津波に漬かった田畑を回復させ米や野菜の無農薬有機栽培をしたり漁業者のカキ養殖を手伝ったりする「田・山・湾復活プロジェクト」を展開している。参加者は岩村牧師がインターネットなどで公募した京阪神を中心とした若者らだ。東北3県の社会福祉協議会が把握したボランティアは2011年には月平均9万5800人だったが、15年には4800人と20分の1に激減した。岩村牧師は「継続が大事」と強調し、同機構の参加者は延べ2千人を超えている。

岩村牧師の活動の原点には阪神・淡路大震災での体験がある。宣教に情熱を燃やしていた牧師は21年前、がれきだらけの神戸の街頭で「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じましょう」と伝道を続けた。だが全く相手にされず、挫折した。避難所で物資を渡しながら話した高齢者は苦しい心情を吐き出すが、宣教の言葉は何の役にも立たなかった。「キリストならどうされるか」。そう自問を繰り返し、困っている人と実際に共に生きるのが正しい道だと思い当たったという。

「聖書が以前とは違って読め、教会をゼロから立て直しました」。被災者や大阪・釜ケ崎の路上生活者、在日外国人ら「弱くされた人々」に寄り添う活動を続け、「神が必要だと言われるからそれに仕えるのです」と自らの働きの根幹を語る。「隣人に関心を持ち、共に苦しみ縁を結ぶ。現場では言葉だけの『教え』は要らない。キリスト教は体験の宗教なのです」

そのような信念で続ける東北でのボランティアは、岩村牧師にとっては参加する若者たちの学び、教育でもある。「実体験によって人間として当然の事を知り、彼らの良い資質を引き出すのです」。震災という過酷な自然の力、そこで苦悩にうめく人々と接することを通じて霊的な学びがある。例えば、一緒に重労働をしたおじさんがぼそりと家族を亡くした話を打ち明ける。そこでこそ、普段はあまり考えない「いのち」や「死」を若者がリアルに体感する。活動ではミーティングで祈りをする程度で布教はいっさいしないが、そこに宗教的意義はあると考える。

村上裕隆さん(25)は以前、高校を卒業してから自宅に「引きこもり」だった。母親の指示で初回の活動に渋々加わったが、誰とも話さず体も動かさなかった。2カ月後にも無理に参加したが、全壊した家屋で黙って消毒作業をしている時に、家の男性から「ありがとうな」と声を掛けられた。他人に感謝されたのは初めての体験だった。その後は常連となり活動の中心に。今も口数は少ないが数字に強く、岩村牧師の推薦で機構の事務局の仕事をしている。教会にも通い、「そこでの話が自分の事として分かるようになりました」と進んで洗礼を受けた。

「皆が人のために生きることの意義を悟ってくれています」。牧師がそう言う若者たち十数人が今年2月、神戸・元町通での「ひょうご青少年活動フェスティバル」で被災地の現況を訴えるパネル展示や募金活動をした。道行く市民にチラシを配り、石巻で自分たちが収穫した無農薬の「復幸米ツヤヒメ」を支援活動のために販売した。

懸命に声を上げる岡山大3年の森花梨さん(21)は3回、石巻に赴いた。海苔の出荷の手伝いや仮設住宅の庭の手入れなどいろんな活動をした。「役に立ちたいと思っても小さな事しかできません。でも何度も行けばつながりが出来て、それが励ましになると思います」。衝撃なのは復興の遅れ。巨大堤防は出来ても「仮設は出られないし土地も更地のままで、皆さんが悲しんでいます」。岩村牧師は「諦めが広がり、生が踏みにじられる状況を何とかするためには、無関心や風化に抗して積み重ねていくことが大事です」とたたみかけた。

(北村敏泰)