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13.現場から親鸞を学ぶ

2016年4月22日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

閖上中のメッセージ

閖上中の遺族が机に書いたメッセージが読む人の心に訴え掛ける(宮城県名取市の「閖上の記憶」館前で)
閖上中の遺族が机に書いたメッセージが読む人の心に訴え掛ける(宮城県名取市の「閖上の記憶」館前で)

宮城県名取市の「閖上の記憶」館の表には市立閖上中の生徒たちの慰霊碑がある。震災の日に卒業式だった同中では14人の生徒が亡くなった。指定避難所の公民館に逃げ込んだ後に同中に移動した住民も、多くが犠牲になった。子供らの遺族が作った慰霊碑は当初、被災した校舎のそばにあり、「閖上の記憶」館もそれを守る目的で隣接して建てられたが、昨年、校舎解体に伴って共に日和山に移った。

黒い御影石の碑は、生徒の名前が刻まれた上面が腰の高さで手前に傾いている。「冷たい石ではなく、いつも人の手で温かい碑にしてほしい」という遺族らの願いがこもっており、館長の小齋正義さん(74)は来訪者に「どうぞ名前に触れてください」と呼び掛ける。

碑の横に2台並んだ学校の教室の机。その上には「復興はとても大切な事です。でも沢山の人達の命が今もここにある事を忘れないでほしい」とフェルトペンで書かれている。そして、「死んだら終りですか?」。遺族のこの叫びのような言葉に、京都から支援活動に来た真宗大谷派光専寺衆徒の木越康さん(53)は心を揺さぶられた。

大谷大の真宗学教授として学生らと繰り返し被災地を訪れている木越さんは、机のメッセージに「死んだら終わり、ではない」と答える。真宗僧侶として「死後の世界という問題は難しいが、過去の自分と切り離して今の自分も未来の自分もない」。しかし何より「これを書いたお母さんの、我が子が死んだら忘れられてしまうことへの悲しみの叫びです」と言う。

その母親の「がれきが片付き町がきれいになっていくと、ここに町が、たくさんの人々の命があったことまで片付けられてしまったようで、寂しくて」との話を聞いた木越さんは昨秋、京都で開かれたシンポジウムでこう述べた。「母親にとっては息子が帰ってくることこそが復興。だから我が家にとって復興はあり得ないと母親は言う」。そしてそのような苦悩が凝縮する現場に、『歎異抄』第2条の「地獄は一定すみかぞかし」を重ねた。「地獄こそが私に定められた住処なのだ」

木越さんが学生、職員らと被災地に入るのはもう20回を超える。学生たちは地元の人々の窮状に接し、「人間としての生き方」をそれぞれ学んで変わったという。その中で、「ボランティアをするのは『自力』であり、ただ念仏のみという真宗の他力本願とは相いれないのではないか」との疑問、不安が学生から発せられた。

「それは違う」と木越さんは断言する。「必ず現場で考えた親鸞聖人の思想からしても、違います」。実際に現場に行くこと。そこから始まるのであって、研究室で上から論じるのではないという。「親鸞の言葉を知らなくても、被災地に行くとその言葉の内容を学ぶことができます」。支援活動をしていても自分たちの非力を知る。歎異抄には「聖道の慈悲」について「おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」とある。

大学人として木越さんは「真宗を学ぶのも同じように現場から」と、同大に「現代臨床コース」を設けた。「臨床と言っても診察室で待っているのではなく、自分から患者のもとへ出向くような医者です」。「死んだら……」の机のメッセージは「生き残った私達に出来る事を考えます」と続く。木越さんは「宗教者にできることは人々の心を支えること、深く傷ついている人のそばにいることです」と応答する。そして、ますます苦難が深まり取り残されていく人たちに寄り添い、「関わった以上、ずっと発信を続けねばなりません」と表情を引き締めた。

廃校となった閖上中は姿を消し、地区には巨大なかさ上げの更地が広がるが、暮らしの再建は程遠い。「こんな復興でいいんでしょうか」と小齋さんは顔を曇らせる。語り部活動では「何より命を守ることを第一に、状況判断をして逃げる」と教訓を示す。そして当時の恐怖を説明しながら、逃げ込んだ真っ暗な校舎で数枚のクラッカーを分け合った時、「子供にあげて」「いやお年寄りに」と譲り合いが生まれたことを話す。

「津波てんでんこ」と言っても、「目の前の寝たきりの方をおいて逃げられるものでしょうか」と訴える。「普段からどの家に不自由な方、老人がいるというようなことを近所で知っておくのが重要です」と「共助」を強調する。「いのちはすべて、そして普段から大事なものなのです」

(北村敏泰)