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避難所となった当時を振り返りながら講話する本川住職
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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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15.「帰還いつ」募る不安

2016年4月29日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

浪江町・大聖寺

原発事故による避難で復興が進まない大聖寺の境内には汚染土のバッグが並ぶ(福島県浪江町で)
原発事故による避難で復興が進まない大聖寺の境内には汚染土のバッグが並ぶ(福島県浪江町で)

東京電力福島第1原発の事故で避難指示が出た福島県浪江町の青田敦郎住職(55)の避難暮らしも5年を過ぎた。福島市内に借りた自宅から60キロ離れた自坊の真言宗室生寺派大聖寺に片付けに通い、遠くは埼玉や千葉まで各地に離散した檀家を回る日々。車の走行距離はこの3年で7万2千キロを超える。大日如来像を安置した自宅床の間で住職が勤行する脇の窓の外では、除染作業の真っ最中だった。

大聖寺は、背丈ほどの草に覆われていた庭を2013年4月に避難指示解除準備区域になってから近所の人が手入れしてくれた。だが震度6の揺れで壊れた本堂の壁などはそのままで、境内には除染で出た汚染土の入った黒い袋が積み上げられている。「何とか皆さんの心をつなぎたくて」と住職が願う寺での行事は、3年前から大晦日の除夜の鐘を復活できた。宿泊禁止なので正午に鐘を突くが、昨年末は避難先から檀家二十数人が集まって再会を喜び合った。一方で、恒例の正月2日の護摩供は当面無理で、時々の檀家の法事が数少ない集まりの機会だ。

青田住職は「法要の意味が以前と違ってきた」と言う。亡くなった人の縁、そのお蔭でこうやって集い、人々が出会う。住職も檀家と出会う喜びを得る。「それが最大の意義ですね。震災前からいかにつながっていたかを再確認できました」。だがそれだけに「法要の帰り足にはぐったり気落ちします」。檀家も同じ。震災直後の尋常でない悲しみが少しは和らいだかに表情は落ち着いて見えるが、「それは私の前だからでしょう」。

5年を経て、町への帰還を諦めた檀家もいる。避難先で家を新築し仏壇も新調した。移転先で暮らし始め、以前の仕事を辞めざるを得ない人もいた。家族が分かれる例も。また、海岸に近い請戸地区など400軒の檀家が津波で被災した。「故郷を追われ、誰しも抱える事情は複雑です」

地区は一面廃虚が広がり復興はまだまだ。第1原発を望む請戸港跡では改修工事が進むが、打ち捨てられた小学校は残骸をさらす。付近に膨大な量の汚染土の袋が山積みされ、新設されたモニタリングポストの放射線量値が刻々変化する。そんな中でいったん遠くに避難した後、隣接する南相馬に新居を定めた檀家が「少しでも請戸に近い所に」と打ち明けた。

地区の内陸部に造成された高台に新設の町営大平山霊園がある。一帯を見晴らし東屋も備えた公園のような墓地は、昨年4月に開いた400区画のうち9割がすぐに契約で埋まった。真新しい墓石はほとんどが安定性のある横型。墓誌には「3月11日」の命日が続き、一家で3人の犠牲も。

明治や大正の忌日は、津波で流された先祖代々の墓を改葬したことがうかがえる。檀家の依頼で新墓の「魂入れ」、開眼に赴くことが多い青田住職は「せめて死んだ時くらいは故郷に帰りたい。請戸の土に還りたいという切羽詰まった気持ちです」と力を込める。

その裏には自宅には戻れる見通しが立たない事情がある。90代の女性は避難中に衰弱した揚げ句、施設で亡くなった。遺族が、流された自宅の居間の跡に遺骨の箱を置き、普段から外出好きだった「ばあちゃん」の散歩のコースを回ってから墓地に納骨した。

「やっと帰って来れた」とうな垂れる。「浪江で今まで通り暮らしてたら、こんなことには……。原発事故さえなければ」。遺族も、墓に合掌する住職も気持ちは同じ。墓地には人々の苦悩と悲嘆、そして怒りの思いが積もり重なっているようだ。事故の3カ月後、地区への一時立ち入りで住民らに寄り添い、高い放射線量の中で防護服の上から袈裟を着て津波犠牲者を供養した青田住職。あの時と同様、理不尽な状況に苦悶しながら読経した。

準備区域の避難指示解除は来年3月に想定されているが、どれだけの住民が戻るのか、戻れるのか。本当に安全なのか。「長い間に放射能への恐怖がマヒしているのかもしれませんが、しばらくしたら取りあえず寺に帰って住んでみようかと」。妻(53)も「大丈夫かどうか分かりませんが、この先、避難先で死ぬのは耐えられない」と付け加える。

多くの住民共通の思いだが、「でもそう言えるのは老人や、子供のいない家庭だけです」。家族内で意見が割れて争いになる、別居する、離婚した例もあった。犯罪的な原発の事故は、罪もない人々にさらに苦難を広げ続ける。

(北村敏泰)