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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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17.喜怒哀楽、情報誌に

2016年5月18日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

福島県・飯舘村

見回り隊の活動に向かう佐藤さん。故郷への帰還は見通せない(福島県飯舘村で)
見回り隊の活動に向かう佐藤さん。故郷への帰還は見通せない(福島県飯舘村で)

福島第1原発の事故で生活が破壊されたのを苦に、福島県相馬市の酪農家の男性(54)が震災の年に自死した現場では、作業小屋の板壁にチョークで書かれた「原発さえなければ 気力をなくしました」という「遺書」がなくなっていた。

あれから5年。事故を起こした東京電力への告訴や提訴が続く中で、遺族の支援者が悲劇を告発する「証拠」として、ベニヤ板ごと取り外し保存しているという。以前のまま残った部分の、死者の無念が凝縮した大きな「×」は、責任追及の刃のようだ。酪農業が多い地区内では「牧草地除染」との看板が立つが、汚染で使えない牧草のロールがあちこちに放置されたままだった。

「死ぬほど思い詰めたんだなあ。罪な事故だ」。隣接する飯舘村の佐藤好信さん(67)が顔を曇らせた。佐藤さんも同じく営んでいた酪農を、一家で福島市へ避難を強いられたため断念した。やはり事故を苦に自死した同村最高齢の男性=当時(102)=の遺族は昨年7月、東電を訴えた。

佐藤さんは村役として同村関根松塚地区の月刊情報誌「ゆーとぴぁ17」の編集発行を担当している。村内第17行政区である地区の身近なニュースを載せる同誌は、B4判両面に手書き文字で印刷し、五十数世帯に配布していた。以前は住民が書いた「菅野さんちで子供が誕生」とか、祭りや田植えなどの行事記事がのどかだった。それが、事故後の4月30日号で一変する。「想定外でも人災事故」「自分の未来が見えません」「行政あてにならない!」。全村強制避難が決まった直後で、住民の憤りがあふれた。

続く5月号も「返せ!美しい飯舘を」「くやしさと怒り!」と事故特集になったが、次の2カ月は村民の離散で発行できなかった。その中で、地区会合で休刊が提案されるが、「こんなときだからこそ大事だ」と却下された。順番で佐藤さんが広報部長に指名され、「皆のためなら」と引き受けた。月1回、避難先の福島で編集担当者6人がファミリーレストランに集まり、紙面を考える。「あそこの奥さん、具合悪くなったそうだ」などの近況の情報交換も兼ねている。

佐藤さんは、できるだけ楽しい、明るい話題を掲載することにしている。結果として最近は原発についての記事が減った。「ただでさえ皆ひどい生活してんだからなあ。事故のこと考えたら落ち込むだけだし」。だが、2月号でも、川柳欄に「悲喜苦楽一式セットで生きており」「やせ細る民に骨太と言う総理」といった作品が目立つ。どこかの家で子供が生まれたら村中で喜ぶような地域で、紙面には村人の叫びが集約されている。「誰もが楽しみにしてくれています」という佐藤さんは、酒の席で「あの記事良かった」と言われるのが希望だ。

自身も故郷に戻る見通しはない。長く農業から離れたため、年齢からして復帰する気力がないという。飯舘しか知らなかった母(84)は避難して2年後に衰弱して亡くなった。村にいた時は野菜を作り散歩も好きだった。福島では話し相手もおらず、正月には「また今年もここさいなければなんねえのか」とこぼしていたという。

佐藤さんの知人でも、遠方に転居して事故以来一度も会っていない人もいる。福島県の総人口は県外避難などで減少を続けており、国勢調査の速報値でも2015年10月1日現在で191万3606人と戦後最少。5年前の前回調査値202万9064人から11万5458人(5・7%)も減った。過去にない減少幅で、全域が避難指示区域の浪江、双葉など4町は人口ゼロになった。故郷が消滅しつつある。

佐藤さんは隔日に村へ通い、「防犯見回り隊」の仕事をしている。全村が無人になったところへ空き巣などが相次ぎ、村が組織した。職を奪われた村民の緊急雇用対策でもあった。約200人が2人一組でそれぞれの出身地区を中心にマイカーでパトロールする。佐藤さんも隊の標示を付けた軽トラックで地区の細い道まで巡回し、「不審な人や車はすぐに分かる。自分の部落は自分たちで守らねば」と語る。

見えない放射能に汚されていても、田畑や山々の美しい風景には心洗われる。自宅は築100年を超える旧家で、「知らんくらい昔の先祖から」この地に住んでいる。「離れてみたら良さが分かるんだよ」。情報誌の誌名にもなり、亡き母も愛着を持ち続けた「理想郷」。近くには、代々氏子でもある古社の綿津見神社が鎮座し、何かにつけては今も参りに通う。

(北村敏泰)