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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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19.避難の苦悩を癒やす

2016年5月27日付 中外日報(伝えたい忘れない-大震災から5年)

岡山のNPO

保養の催しでおやつを食べながら交流する親子ら(3月、岡山県玉野市の県立青年の家で)
保養の催しでおやつを食べながら交流する親子ら(3月、岡山県玉野市の県立青年の家で)

瀬戸大橋を望み潮風の吹き抜ける浜辺近くの芝生広場で、子供たちがサッカー遊びに興じている。おやつの時間には、施設の食堂に親子が集まり、イチゴケーキを食べながら談笑の輪が出来た。小さな子の歓声に交じり、「大変よね」「もう5年ね」と母親たちの会話も。福島第1原発事故で避難を強いられたり、放射能の恐怖におびえる家族を対象に、3月下旬に岡山県玉野市の県立青年の家で開かれた「保養プラン」の光景だ。

企画したのは、自らも福島県川内村から一家で岡山に避難中の大塚愛さん(42)が主宰するNPO「子ども未来・愛ネットワーク」。岡山出身の大塚さんは自然の中での暮らしにあこがれ、13年前に同村に一人移住して大工の職に就いた。結婚して自分で森の中に家を建て、農業もして子供ら4人家族で、ほぼ自給自足の生活を楽しんでいた。

チェルノブイリ事故など原発の問題点にはもともと詳しく、いつも不安があったのが、最悪の形で現実になった。断片的に入ってくる事故の情報に、危険を察知してすぐに車で逃げ出す。夫や子供と築いた生活の全てが「ガラガラと崩れていくことに、心がボロボロになり、自分の一部が死んでしまったようでした」と振り返る。

その悲しみ苦しみはずっと続くが、我が家の生活再建もままならず、第二の故郷の人々が困窮する様子に、「何とかしなくては」と2カ月後には支援団体を立ち上げた。福島の地元や避難先で子供を屋外で遊ばせることも難しい母親たちの窮状に、保養事業をスタート。行政と交渉して援助も取り付けた。持ち前の行動力で、被災地から岡山への移住のサポート事業や、安全な野菜を福島に安く届けるプロジェクトも展開している。

保養は、事故被害者にひととき安心して過ごしてもらうよう、施設に数泊して遊びや健康診断、アロマセラピーなど様々なプログラムを用意。これまで10回で延べ450人が参加した。自宅では夏でも長袖か部屋に閉じこもりがちで情緒不安定な子供らが、保養先でゆっくり羽を伸ばし、浜辺で「ここの砂は触ってもいいんだね」とはしゃぐ姿に、大塚さんも含めて母親たちはほっとしながらも、複雑な心境だ。

3月には、0~9歳までの子供とその親ら計39人が参加し、何度目かの親子もいる。交流会では様々な悩み事が吐き出される。「子供がよくかんしゃくを起こす」「家族の都合で避難できず、仕方なく自分で安全な食品を入手するすべを考えた」。いわき市から各地を転々と避難して回った母親(35)は、夫の仕事もあって結局移住は諦め、いわきに戻った。「不安ですが、私があまり心配すると子供が神経質になるようで……」

29歳の母親は、新築の自宅で事故に遭い、三男を身籠ってはいたが「自分だけ逃げられない」と家族で残った。せめてもの安息をと保養に何度も参加するが、周囲からは「また行くの?」と白い目で見られる。「もう大丈夫じゃないの」と責められている気がするという。子供らも、絵描きの時間に「かいじゅう ふたばさうるす」という化け物が暴れ回る絵を描き、「げんぱつがばくはつして、きたないバイキンがたくさん飛んだんだよ」と語る。同様の保養企画は各地の教団が取り組んでいるが、このような母子らの苦悩に寄り添うことは難しい。

大塚さん自身も、子供らがすっかり岡山弁になった一方で、6歳で「お家が懐かしい。あそこでは何でもできた」と口にするのに胸が痛む。そして、被害者の間の溝。避難した人は福島に残る人に「安全神話への加担だ」と、残留者は逆に避難者に「安全なのに風評被害を煽る裏切り者」と非難を浴びせる。「福島なんか人の住む所ではない」と、現地から届いた産物の箱を家に入れない人の言葉に福島市からの保養参加者が傷つく、と大塚さんは顔を曇らせた。最近は「保養」と言うだけで批判される風潮もあり、ホームページでは「ほよ~んプログラム」と表現している。

国策電力会社や国という強大な力の暴虐に抑圧された者同士がいがみ合う悲しさ。宗教界は、たとえ原発政策自体には手を付けられなくとも、人々の深い苦難に向き合うことはできるのではないか。祖母が金光教の教会長で幼い頃からよく参拝をしていた大塚さんは、20代にインドを旅したり多くの宗教者の話を聞いたりした。

「この世には人間が把握できないような大きな節理がある」という信仰はずっと持っている。そして、「大きな力に動かされてここまで生きてきた。それを失わせようとするものに対して、それを乗り越えていくのが生きる理由です」。苦境の中でパワフルに活動するエネルギーの源をそう語った。(完)

(北村敏泰)