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1、人生を歩む 「仏教」という地図を手に

文筆家・Temple主宰小出遥子

2016.07.08~2016.07.29

  • 1、人生を歩む 「仏教」という地図を手に
  • 3、お坊さんに聞く 人生に迷って不安なとき
  • 2、お寺で対話 「ほんとうのこと」を探る
  • 4、「いのち」指し示す 仏教を“自分ごと”として

私はどこの宗派にも属してはいませんが、「在俗の一仏教ファン」という立場から、一般の方々に、仏教の魅力を分かりやすく伝えられたらいいな、という思いで、インターネット寺院「彼岸寺」(higan.net)での執筆活動や、Templeという、お寺を舞台とした対話の場づくりなどを行っています。

このような活動の根っこには、ある大きな気づきがあるのです。それは「仏教って、“地図”だったんだ!」というもの。その心は……? と、その前に少し、私の来歴を紹介させていただきます。

父が転勤族だったこともあり、幼少時代からいろんな地を転々として暮らしてきました。そんな中で、大切な人間関係も、慣れ親しんだ風景も、大事にしていたものたちも……ありとあらゆるものが駆け足で自分を通り過ぎ、そして二度と戻ってくることがないということを身をもって知り、子どもながらに、この世に対する複雑な「切なさ」を感じ続けて育ちました。

歳を重ねるにしたがってその「切なさ」は「むなしさ」へと変わり、社会人として働き始める頃には、それはもはや抱えきれないほどの「生きづらさ」へと変貌を遂げていました。

この「無常」の世に、私が心の底から安心して生きていける場所なんかどこにもない……。ほとんど絶望の淵ギリギリまで追いつめられた頃、私は一筋の光と出会いました。それが「仏教」という地図でした。

そこには私が無意識の間に求め続けていた「決して流れ去ることのないなにか」が示されているように感じられました。

その「なにか」がどういったものなのか、はっきりとは分からなかったけれど、それでも「いのち」の根底に流れるものへの予感だけは、最初から揺るぎなくあったのです。

この地図を手に歩んでいけば、きっと大丈夫――。大きな安心感が私を包んだあの日から早数年。まだまだ道半ばではありますが、これからも、日々新たな気づきを頂きつつ、力強く生きていきたい。そして仏教の素晴らしさを、縁ある方々に伝えていきたい。そんな風に思っています。