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1、仏教医学の歴史 人々のために学び実践

浄土宗西山禅林寺派光明院住職 田中医院院長・僧医田中善紹

2017.07.14~2017.08.04

  • 1、仏教医学の歴史 人々のために学び実践
  • 3、看取りの今 早期に僧侶が寄り添って
  • 2、看取りの歴史 臨終行儀で悲しみを共に
  • 4、医療の場と僧侶 期待に応え人々の支えに

私の肩書の一つに「僧医」がある。わが国では、中世より僧侶である医師を僧医と呼び、民衆のための医療の中心を担っていた。仏教と医療は、長い歴史の中で深く関係していたことは案外知られていない。釈迦の時代も、インドの医師は全て僧侶(僧医)であったらしい。古代インドでは学問を類別して五つとし、五明といったそうだ。仏教はこの五明をそのまま引き継ぎ、中国や日本の仏教の教学にも影響を与えた。明は学んで明らかにする知識・学問。声明は音韻学で、仏教音楽。因明は論理学。内明は教義学で、後の仏教学。工巧明は建築、造仏、絵画や土木工学。医方明は医学だ。

僧侶が昔、橋やため池、そして温泉まで作った話が全国各地に今でも残っている。特に行基は有名で、近畿を中心にあちこちで数多くの土木事業を行った。有馬温泉もその一つで、現在も行基の像がある。

このように、もともと僧侶は多芸であり、ギターを弾きながら説法したり、イラストレーターであったり、工学に造詣が深い仏教学者がいても決しておかしくはない。医者と兼業の僧侶も結構おられる。要は、僧侶は人々のためになることを学び、実践してきたのだ。

釈迦は帝王学として五明を学んでおられたから医学にも精通し、経本の中に現代医学にも通じる数々の記載があるのも納得できる。

わが国でも仏教と医療の歴史は古く、聖徳太子が建てた四天王寺には、四箇院という施設があり、敬田院、施薬院、療病院、悲田院と呼ばれた。敬田院は寺院で、人々の救済のための説法をする集会、学問所。施薬院は薬草を栽培して薬を作る薬局で、略して薬院。療病院は現代の病院。悲田院は身寄りのない人や老人などのための社会福祉施設だ。

仏教伝来以降、聖徳太子が熱心に仏教を広め、飛鳥時代の医療は仏教と融合して発展した。全国各寺院にも施薬院や悲田院などの救療施設が設けられ、僧侶は病人を救うための医学(医方明)を学ぶようになった。この僧医が医療の中心となり、看護に関しては看病僧が活躍した。