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1、叡南祖賢和尚 「百年に一度」の傑僧

天台宗毘沙門堂門跡門主叡南覺範

2018.07.27~2018.08.31

  • 1、叡南祖賢和尚 「百年に一度」の傑僧
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私は今年で92歳。人との縁には非常に恵まれたが、中でも計り知れないほど大きな存在だったのが「百年に一度の傑僧」と言われた師の叡南祖賢和尚(1903~71)である。

一生涯を山に尽くした和尚は伝教大師最澄の教えである忘己利他の精神を身をもって示してくださった。和尚の直弟子が少なくなった今、その業績を語り継ぐ責務を感じている。

和尚は伝教大師の精神を継承して、比叡山を修行の場として確立させた。自ら十二年籠山行を実践するとともに、戦後初めて千日回峰行を満行した。さらに、山修山学を僧侶に義務付ける制度も作った。

天台宗の僧侶は必ず比叡山の行院で修行せねばならないが、この行院を始めたのが和尚だった。延暦寺一山住職になるためには比叡山で3年間修行せねばならないという三年籠山行も創設した。

和尚は延暦寺執行になると、一般に開かれた延暦寺となる基礎を築いた。西塔や横川へのアクセスに欠かせない奥比叡参詣自動車道株式会社を反対運動に遭いながらも設立にこぎつけ、一般の人が比叡山の修行を体験できる居士林も開設した。

私は1946年、19歳の時に和尚に弟子入りし、57年に養子縁組をしてそれまでの荻原姓を改称。四半世紀にわたって弟子として仕えてきたが、教えられたのは「うそをつくな」と「坊さんは銭にこだわるな」だった。

弟子が少しでもうそをついて誤魔化そうとすると厳しく叱責するが、正直にしておれば何も叱らない。その上、私心がなく、当時いた約30人の弟子を養うのに必要な物はツケで購入して年末になるとそれをいっぺんに支払うのだが、支払いが終わった和尚が財布の中身を見せて「これだけ残ったわ」と言うので中を見ると、ほんのわずかな金しか入っていなかったのを覚えている。

小事にこだわらない性格で誰とでも分け隔てなくユーモアを交えて接するので非常に人気があり、多くの人が和尚への協力を惜しまなかった。公平無私だったからこそ、偉大な業績が可能となったのだ。