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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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公共空間と宗教 この20年から将来へ ― 大震災で存在感を増した宗教界

上智大特任教授 島薗進氏

2015年1月1日付 中外日報(論)

しまぞの・すすむ氏=1948年、東京生まれ。東京大大学院宗教学科で学ぶ。筑波大、東京外国語大を経て、2013年3月まで東京大大学院人文社会系研究科教授(宗教学専攻)。同年4月から上智大神学部教授・グリーフケア研究所所長、東京大名誉教授、大正大客員教授。近代日本宗教史、比較宗教運動論を研究し、著書は『国家神道と日本人』『現代宗教とスピリチュアリティ』『日本人の死生観を読む』など多数。

1995年の1月には阪神・淡路大震災が起こり、3月にはオウム真理教地下鉄サリン事件が起こった。阪神・淡路大震災では宗教界からの支援が目立たなかったと評された。地下鉄サリン事件では、有能な若者がオウム真理教などに走るのは、日本の宗教界が力を失っているからだと評された。

2011年の東日本大震災後にはだいぶ異なる評価がなされた。宗教界の支援活動が高く評価され、存在感を示したと言ってよいだろう。2015年においても、政治や医療・福祉などにおいて宗教の関与が話題になることが多いだろう。

では、この20年間に宗教集団は力を強めただろうか。どうもそうではないようだ。地域社会の宗教施設は過疎化によって存立が危ぶまれるものが増えている。葬儀や法事は簡素化の傾向が進んでいる。新宗教教団では高齢化が目立つ。宗教が存在感を強めたというのは、宗教集団に多くの人が集まるようになったということではない。

寄り添い型の支援

ひとつには、宗教者が地域社会で困難を抱える人々を支える働きを行う例が目立っている。東日本大震災後の東北地方では、家屋を失った多くの人々が相当期間、寺院に避難する例が目立った。慰霊・追悼においても、災後の心のケアにおいても宗教者の働きが大いに注目された。金田諦応住職らによる「カフェ・デ・モンク」は多くの被災者に慰めと勇気をもたらした。

他にも、被災地で宗教者たちが新たな形態の傾聴活動を続け、信頼を得ている例が多い。これらは特定宗教宗派の教えを説いて人々を導くというのではない。むしろ宗教的なバックボーンに支えられながら、被災者に「寄り添う」という形での支援だった。こうした「寄り添い」型の支援活動は、阪神・淡路大震災以後、若手宗教者が次第に身につけてきたものだ。

震災によって目立つようになったが、すでに多様に進められてきた支援活動がいっきに顕在化してきたものだ。たとえば、秋田県では自殺予防のモデルとなった藤里町で、曹洞宗の僧侶が孤立者を支える地域社会の活動の中心となった。秋田県全体での自殺対策においても、藤里町の袴田俊英住職がリーダーとして認知されている。

これは特定の住職の創意に負うところが大きいが、他地域で自殺対策で活動してきた仏教者の活動に呼応するものでもある。長く自殺予防や自死遺族の支援を行ってきたのはキリスト教に根をもつ「いのちの電話」等の機関だが、それとは別に、新たに仏教者の関与が増えている。

また、大都市で貧困に苦しむ人々の支援でも宗教者たちの活動が目立つようになった。社会の中で浮上してきた空白領域で、宗教者が新たな役割を果たすようになってきているのだ。社会の中で人々をつなぐ宗教の働きが強まる領域がそこここに生じているのだ。

もうひとつの例は医療や介護である。医療や介護において、スピリチュアルケアの必要性への認識が高まっている。ホスピスケアが日本に導入されたのは1970年代だが、それがようやく根づこうとしている。2000年代以降、とりわけ2010年代に入り宗教者がスピリチュアルケアの研修を受けて、医療や介護において役割を果たす動きが広がってきている。日本型のチャプレンとされる臨床宗教師の養成が始まったのも、全国統一のスピリチュアルケア師認定が始まったのも東日本大震災後のことだ。

外に活動の場求め

これらは社会の中で、宗教の関与すべき、あるいは関与できる場所が広がってきて、宗教者がそこに新たな働き場所を見いだしている例だ。宗教者は特定の教えを広め、仲間に入った人たちを指導し、集団としての結束を高め、さらに影響力を増していく――これが従来の宗教活動のあり方だ。宗教者の役割は、宗教集団の内側でなされる事柄に集中することになる。

ところが、新たに見いだされている活動領域は広い一般社会の中にある。宗教者は宗教集団の外に出て、そこで人々が求めるものに応じるのだ。東北大学で臨床宗教師研修を指導している谷山洋三氏は、これを「ホーム」と「アウェイ」の関係にたとえている。今まで人々を内側に引き込んで「ホーム」で教えを説くのを常としていた宗教者が、外に出てそこで求められているものを察知し学びながら役割を果たしていこうとするものだ。

これは宗教集団を開く働きと言ってよいだろう。宗教集団の外にある世俗社会が宗教的な働きの関与を求める時代になっている。世俗の領域でまかなわれると考えられてきた領域で、新たに宗教の役割が見いだされるようになっているのだ。医療や介護、自殺予防、災害支援はそうした例だ。

福祉国家の拡充が当然と考えられた時代には、国がお金を出して、世俗的な学知や技術を習得した専門職が役割を果たしてくれると期待されていた。だが、国家は福祉予算の削減を目指し、民間活力の発揮を求めるが、宗教はその重要な対象となる。そもそも世俗的な知識や技術だけでまかなおうとすることに無理があったことも気づかれている。死の看取りはそのよい例だ。

こうした状況は「ポスト世俗主義」とよばれる世界的な動向に対応している。1970年代頃までは、公共空間から宗教が撤退していくのが歴史の趨勢で、宗教はますます私事になっていくと考えられていた。ところが、社会の中で人々を支えまとめていく宗教の根強い力があらためて見直されるようになっている。

たとえば、生命倫理や環境倫理や平和の問題について、社会が宗教に基づく価値観を聞こうとする傾向が強まっている。人のクローンを作ってよいのか、再生医療をどんどん進めていってよいのか、生む子を選ぶ医療を受けいれてよいのかといった問題、また、エネルギー源として原子力に頼ることは倫理的に妥当なのかといった問題だ。また、兵器を売りつけて儲けるような産業を育て、それに寄与する科学を奨励することを認めてよいのかといった問題だ。

欧米ではこうした問題に対するキリスト教の見解はつねに参照されるものになっている。いのちや平和について「倫理」が問われるとき、宗教からの声は欠くべからざるものなのだ。2011年の福島原発事故後に、原発の将来を決めるためにドイツ政府が設けた委員会は「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」と名づけられていた。そして、その委員会には宗教界からの委員が一定の割合を占めていたことが思い起こされる。

日本でもこうした傾向は次第に目立つようになっている。たとえば、福島原発事故後には全日本仏教会が「原子力発電によらない生き方を求めて」という宣言を出した他、多くの教団や宗教者が脱原発の方向性を示す意思表示を行っている。また、平和という主題については、2014年7月の集団的自衛権を認める閣議決定について多くの教団や宗教者がそれを批判する意思表示を行った。

排除の傾向に注意

もっとも宗教界は脱原発や軍事活動の拡充に対して反対する動きという方向で統一されているわけではない。原発推進を掲げ集団的自衛権容認を推し進めてきた安倍政権も宗教勢力に後押しされていることが注目されている。安倍政権では閣僚の8割ほどが日本会議に属しているが、その日本会議の役員には宗教教団関係者が数多く名を連ねている。首相の靖国参拝を求める立場や、経済発展重視の政策や国家主義的な政策を支持する側にも、宗教が大いに関与しているわけである。

世界各国では原理主義やナショナリズムに親和的な宗教勢力が、大きな政治的影響力を及ぼす例が少なくない。イスラーム圏の国々、アメリカ合衆国、イスラエル、インドなどが念頭に浮かぶが、日本でも宗教的ナショナリズムの影響力が強まっていることに注意が必要である。また、宗教集団が自集団の利益を重視する形で政治に関わる例も見られる。

公共空間に対する宗教の関与が深まるなかで注意すべきことは、宗教が結束を重んじるあまり排除の機能をもつ傾向である。内と外を厳しく区別し、外に対する攻撃性を強める傾向は宗教とナショナリズムの双方にしばしば見られるものだ。このような傾向が強まると、宗教は多元性を尊ぶ開かれた公共性のあり方を阻害することになる。日本の公共空間における宗教の関与についても、この点をくり返し問い直す必要がある。