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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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若者たちのエイズ感染を防ぐ ― 宗教は生きる力に

ヘルスプロモーション推進センター(オフィスいわむろ)代表 岩室紳也氏

2015年1月16日付 中外日報(論)

いわむろ・しんや氏=1955年、京都府生まれ。自治医科大卒。神奈川県内の病院や診療所、保健所勤務等を経てヘルスプロモーション推進センターを設立。公衆衛生医としても幅広い健康づくり活動に従事し、中・高校などでエイズ予防と性教育の講演を年間約百回行っている。東日本大震災後は岩手県陸前高田市地域包括ケアアドバイザーや宮城県女川町健康づくりアドバイザーも務める。著書に『イマドキ男子をタフに育てる本』『思春期の性―いま、何を、どう伝えるか』など。
■「生老病死」が教えてくれた

医者になれば患者さんを治療し、「ありがとうございました」と感謝されることが多いのかと思っていたのですが、初めて受け持った患者さんは30歳、新婚、末期がんで、あっという間に亡くなられました。

神奈川県のへき地で従事した地域医療の現場では、医者は単に医療を提供するだけではなく、人生の終焉まで、ご本人が老いても、認知症になっても、ご家族の意向に寄り添い、みんなが少しでも快適に過ごせる環境を医療の立場から提供する役割でした。

泌尿器科がんの専門診療では、薬剤の進歩で、進行がんであっても、つらい治療を一緒に乗り切る覚悟で寄り添えば、中には治る人もいる時代になっていました。すなわち医者は医療技術を駆使しつつ「生」を可能にするだけではなく、時にはその技術をもってしても救えない命に、死に寄り添うことが求められている職業でした。

しかし、1990年代前半に初めて診療をさせていただいたAIDSの患者さんとの出会いでは、さらに多くの役割を担うことが求められていました。

それは、ご主人からHIVに感染し、ご主人が先に他界された、ごく普通の日本人の女性でした。親の記憶も残らないほど幼いお子さんは出産時の母子感染確率が3割程度だったことが幸いし、感染を免れていました。当時はHIV/AIDSに対する偏見や差別がひどく、医療拒否が当たり前で、お住まいから遠く離れた都内の病院で余命3カ月と言われていました。

最終的に女性の住まいに近い私が主治医となりましたが、地元に帰り、お子さんと毎日会えるようになった結果、当初の予想をはるかに上回り、お正月を2回迎えることができました。HIVを抑える薬がない時代でしたが、お子さんと毎日のように会える環境が、彼女の免疫力を高めてくれていました。ごく普通に恋愛をし、普通に子どもを授かったにもかかわらず、その幼子を残して亡くなったご両親の無念を少しでも生かすべく、私は医療や予防啓発活動だけではなく、差別や偏見の解消に向けた環境整備に取り組み続けてきました。

■「死」を経験していない若者たち

90年代、「エイズになったら死んでしまうことがある」と話すと、「死」という言葉を聞いただけで下を向いていた生徒さんたちが「怖いこと」に反応するように顔を上げたものでした。しかし、何年か前から「死」という言葉に反応する子どもたちが少なくなっている気がしています。

学校で講演するとき、生徒さんの前で校長先生に「失礼ですが、万が一、今日、ご帰宅されるときに交通事故で亡くなったら、どのようなお葬式を希望されますか」と聞くようにしています。生徒さんは笑い、校長先生は戸惑いながら「家族葬でいい」とおっしゃることが少なくありません。

このような投げかけをするのは、今の若い人たちのほとんどが人の死に接したことがないからです。大勢の人が集まるお葬式は激減し、「家族葬」の広告が目につきます。もし校長先生が亡くなられ、「校長先生が亡くなられました」というアナウンスと、お姿を学校で見かけないという事実だけだったら、生徒さんは校長先生の死をどのように受け止めるでしょうか。

それに対して、全員ではないにせよ、生徒さんがお葬式に列席すれば、ご家族の、同僚の、学校の先生たちの、元教え子の方々の悲しみに接し、いのちの大切さや交通事故の理不尽さを感じることでしょう。

■啓発の基本はIEC

健康づくりの分野では普及啓発の基本はIECです。すなわちInformation(情報)をどんなにEducation(教育)をしても増えるのは知識です。その知識を健康行動につなげるにはCommunication、対話、関係性、絆を通した課題の実感、感動や経験の共有、仲間からのプレッシャーがなければ、生きる力(Life Skill)、健康になる力が発揮できません。実際、私のHIV/AIDSの患者さんたちで自身の病気の予防に関する知識がなかった人は一人もいませんでしたが、皆さん、どこか他人事意識でした。

  

ただ、このように話すとコミュニケーション能力をどうつけさせるかといった短絡的な話になりがちです。一方でエイズなどの性の問題、いじめや自殺などのこころの問題、薬物やネットの問題についても、トラブルになる人とならない人の違いについての考察をあまりすることなく、もぐらたたき的に課題が顕在化した人や状況への対処ばかりが目立ちます。

LINEやインターネットを使っていてもトラブルにならない人は大勢います。その人たちはリアルな、人間同士の体験を重ねる中で、SNS等をどう使えばいいかを体得しています。仲間同士で「エイズって身近な問題だよね」と話すことができれば、予防行動につながるのではないでしょうか。

若者たちが抱える課題の根底には、関係性、自己肯定感、居場所の喪失があり、さらにそのベースにはコミュニケーション能力の問題があります()。若者たちへの啓発で気を付けたいのが、その話が若者たちとのコミュニケーションになっているかです。

彼らが聞いてくれる講演にするコツは、統計やトップダウンの話ではなく、話す人自身の経験談やその人と関係性がある方々の話を盛り込むことです。前述のお子さんを残して亡くなっていったご夫婦の話はインパクトがあるだけではなく身近に感じてもらえるようで、いろいろと考えてくれます。

■宗教とエイズ

HIV/AIDSを考える際に、同性愛といったセクシュアリティから、予防手段としてコンドームを教えるか否かなど、様々な価値観の衝突が繰り返されてきました。

一方で不勉強だった私は「カトリックはコンドームを否定している」といった誤解、先入観がありました。しかし、実際にカトリックのある会でHIV感染とゲイであることをカミングアウトした若者に対して、司教は「一緒に考えていきましょう」と受容する姿勢を取られました。何千年と続いてきた宗教は、人の生死のみならず性やセクシュアリティを含めて様々な観点から、対立する価値観に対してどう向き合えばいいかを教えてくれるのだと確信しました。

94年から21年間続いている「AIDS文化フォーラムin横浜」で私は「宗教とエイズ」というセッションを行っていますが、それを可能にしたのは実際に若者の性やエイズについて熱心に取り組んでいる浄土真宗本願寺派僧侶の古川潤哉さんとの出会いがあったからでした。9年前から古川さんと私が中心になり、仏教、キリスト教、一度はイスラムの宗教者の方にご登壇いただき、エイズや性に関する問題を考え続けています。

古川さんは昨年の報告書に「宗教を理屈として接したり学んだりすると、万人向けの表現であるため引っかかりが残りますが、本来、宗教は問いを持つ一人一人の問題。私の悩みに応え、私でも私としてここにある意義が必ずあるんだよということを示し、生きる力となるものだ」と書いています。

医者として「患者に学ぶ」ことを繰り返し経験させていただきましたが、これからは「宗教に学ぶ」機会も増やしたいと考えています。ぜひ正解を押し付けない立場の宗教家の皆さまのお力添えをお願いできればと思っています。