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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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「魂のシェルター」としての宗教 ― 人々が排除されない地域へ

支縁のまち羽曳野希望館代表 渡辺順一氏

2015年1月23日付 中外日報(論)

わたなべ・じゅんいち氏=1956年生まれ。金光教羽曳野教会長を務める。「無縁社会」の克服に取り組み、2011年には支縁のまちネットワーク共同代表に就任した。

歴史学者の網野善彦が『無縁・公界・楽』で描いたように、かつて日本社会には、世俗権力が入り込めない「聖域」としての「アジール」(「無縁の場」)が多種多様に存在していた。地域に遍在する様々な寺社も、やはり「無縁の場」としての公共性(=「公界」性)を矜持し、世俗社会に対する超越性・聖性を勝ち取っていた。すなわち、かつて宗教施設は、特定の檀徒・信徒集団との繋がりを超えて、地域社会から吐き出された多種多様な人々を無差別に受け止めていく、「シェルター」(避難場、駆け込み寺)としての機能を持っていた。

そのような宗教の無縁性・公界性は、近代社会の出現と共に解消させられていくが、宗教施設が「無縁の場」であったことの記憶が人々の心から全く消し去られた訳ではない。生きる不安や苦しみを受け止めてくれる、魂のシェルターとしての宗教への期待は、貧困と孤立が蔓延する今日の日本社会にあって、次第に広がってきているように思う。

筆者はこの十数年、様々な教団の宗教者たちや、労働団体など非宗教セクターの人たちと共に、生活困窮者支援の社会活動に参与してきた。近年は、地元羽曳野市(大阪府)で、教会の信徒たちや僧侶・友人たちと「一般社団法人 支縁のまち羽曳野希望館」を立ち上げ、市職員、社協、NPO・ボランティア団体、フードバンク事業体などとの幅広い連携の下で、「支え合いのまちづくり」の活動を開始している。そして、これらの「協働」の関係の中で問いとして浮上してきたことは「公共性や公益性とはそもそも何であり、その担い手はどのような形で見いだされていくのか」ということである。

国家の政策課題を具体化する段階で、その時々の「公」(パブリック=政府、地方行政)が公共性を体現するとは限らないし、場合によってはその公共性・公益性の主張がマイノリティーに属する人々(「私」の群れ)の生存権を暴力的に抑圧することもある。このことは、行政から事業委託を受けた「共」(コモンズ=社協、NPO、組合など)による社会支援の活動についても同様である。

かつて戦時下にあって、「天皇制国家」(公)に繋がれた「共」や諸宗教は、死にたくないと願う人々の生存欲求を、「私」の情として否定し去った。しかし、「滅私奉公」という「聖戦」遂行スローガンの下に隠されてあっても、生きたい、愛する者を死なせたくないという「私情」は、人々の生活意識に共有される、公共性を帯びた感情であったはずだ。

このような「公―共」と「私」との間のねじれ関係は、排除型社会の様相を帯びた現代(後期近代)の地域社会にあっても、別の形で生起している。例えば、1990年代後半から顕在化した「ホームレス」(野宿者)問題は、経済的貧困の問題であると同時に、地域社会の中では「公共の場所」をめぐる社会的軋轢の問題でもあった。「公」(行政)や「共」(町内会、商店組合など)は、公園整備や環境保全という名目での公共性を主張して、それらの場所から野宿者を合法的・強制的に排除した。野宿者を犯罪予備軍や社会的落後者と見なす社会意識の上に形成された公共性の主張は、路上での生活を余儀なくされた「私」が発する「つぶやき」の言葉を無視し、彼らを地域社会を共に担う主体(=市民)としてではなく、地域社会から隔離し保護すべき客体の位置に追いやった。

このような状況で、絶えず考えさせられたことは「排除型となった地域社会の中で、宗教が開くべき公共性とは何だろうか」ということである。在地性の強い宗教の場合、地域社会を構成する家連合の一員でもあるその宗教施設は、檀徒・信徒集団に対して開かれた公共の場所ではあるが、地域社会から排除や忌避の対象となった人々に対しては、閉ざされてしまうことが多いのが現状である。

排除型社会を生きる人々の生きづらさは、会社や学校や家など様々な共同体から人間が無惨に吐き出されていく濁流の中で、吐き出されてしまった他人の姿に、自らの明日の姿を見いだしながらも、彼らの「痛み」や「不安」と共感的に繋がり合うことなく、「弱者いじめの連鎖」(北村年子)に絡め取られてしまい、それぞれが孤立してしまっていることにある。

通行人は、路上に寝そべる人たちの横を、何も存在しないかのように無視して通り過ぎていく。その行為は、彼らとの人間的な関係性を拒否する態度の表明であっただろう。商店街の飲食店経営者たちは、冬の夜間、軒下に人が寝ないように水をまいた。繁華街では、酔っぱらったサラリーマンや、ゲームセンターにたむろする少年少女たちが、人がいる段ボール小屋に火がついた煙草を投げ入れ、花火を撃ち込み、暴力を振るった。野宿者を排除する人々もまた、排除型社会に不安を抱きながら生きる人々だったのである。

そうとすれば、「公」や「共」が排除/隔離/保護/支援の対象と見なした「私」の、「つぶやき」のような言葉は、実は多くの人々の生きづらさを代弁するような、公共性の種を宿していたのかも知れない。今日では、路上生活者の数は減少している。しかし、「ネットカフェ難民」と呼ばれる住居喪失者、不安定就労のシングルマザー、精神障がい・発達障がいの人々、「ひきこもり」の青年たち、家族との繋がりを喪失した独居老人など、多様で膨大な「見えないホームレス」が地域社会に潜在化されている。

これらの人々は、「公」や「共」にとっての支援の対象、客体としての「私」に過ぎないのだろうか。彼らこそが、誰にとっても生きづらい排除型社会を変革する主役であり、公共性の担い手なのではあるまいか。彼ら一人ひとりが発する「つぶやき」のような言葉に耳を傾けること。その「私」と「私」との小さな関係性の中に、人々が排除されない新しい公共空間への扉が開かれていくのではないだろうか。「公」が設定する公共圏に繋がれることが、「共」や宗教にとっての公共性の獲得なのではない。むしろ、人々の「痛み」に繋がり、それらの「つぶやき」を共有化して、流通可能な言説に練り上げていきながら、「公」のあり方を変えていく努力をすることが、「共」や宗教の役割なのではないだろうか。

私たち「支縁のまち羽曳野希望館」は、そのような思いを抱きながら、貧困世帯や高齢独居世帯が集中する公営住宅やアパート・文化住宅を巡回訪問し、生活の困り事などを聞き取りする活動を、少しずつ行ってきた。その過程で、フードバンクや社協・CSW(コミュニティ・ソーシャル・ワーカー)との連携が生まれ、現在では市・社協のケースワーカーの支援活動に協力する形で、「緊急食」支援の活動も行っている。

私たちが訪問した公営住宅は、老朽化し、周辺に病院やスーパーなどの生活インフラが皆無の状態であるため、半数以上の部屋が空室になっていた。子ども世帯が少なく、一人暮らしの老人や生活保護世帯が取り残されたように暮らしていた。広大な敷地の住宅全体がゴーストタウンのようで、人が住んでいるのかいないのか分からない状態であったが、声をかけると、応じて玄関先まで出てきて、生活状況を話してくれる人も多い。

72歳の独居女性は、「隣人がアルコール依存症で、夜中に叫んだり、騒音を出したり、ゴミを放置するので、ストレスが溜まり、眠れなくなった。生活は、亡くなった夫の遺族年金5万円で暮らしており、家計は苦しいが、娘夫婦が援助してくれており、生活保護を受給するつもりはない」と語っていた。

今後とも、これらの「つぶやき」に耳を傾け続けていきたい。