ニュース画像
落慶法要に続き、つき初めする小堀管長と見守る坂井田住職(右)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

メディアの動向に見る葬送文化 ― テレビの仏教番組が増加

愛知大国際問題研究所客員研究員 内藤理恵子氏

2015年4月10日付 中外日報(論)

ないとう・りえこ氏=1979年、愛知県生まれ。2002年、南山大哲学科卒業。10年、同大人間文化研究科博士後期課程修了。博士(宗教思想)。著書に『現代日本の葬送文化』『必修科目鷹の爪』『哲学はランチのあとで』など。

昨年の暮れ、仏具店の前を通りがかったところ、「喪中ハガキが来たら、線香で返しましょう」と書かれたポスターを見かけた。その数日後、今度はテレビで同じ趣旨のCMが流れており状況が納得できた。直葬や家族葬が増加し、香典拒否の風潮も優勢になってきたため、線香メーカーが新しい風習を創出し「お線香」のマーケティングとしたのであろう。香典のルーツは死者に供える香(香は死者の食べ物)であるから、香典の代わりに線香を贈ることは理に適う。ニーズを発掘し、広告で一般化させることにより新たな葬送文化が生まれていくのか。

情報源が細分化されたこともあり、テレビCMの影響力はかつてほどには大きいものでもないように思えるが、実際のところはどうなのか。東京オリンピック前年の1963年に普及率が75%となり本格的な「テレビの時代」が到来したが、この長く続いた黄金時代はインターネットの出現によってそろそろ終わりを迎えつつあると言われている。しかし、2014年に発表された総務省情報通信政策研究所のデータを見ると、「テレビ離れ」が叫ばれている現在でもなお、マスメディアにおけるテレビの存在感は大きいことが示された。

国民全体の平均では約168分をテレビのリアルタイム視聴に費やしており、さらにテレビ録画視聴18分間を加算した時間数がテレビに費やしている時間となる。60代であれば1日平均257分で、さらに録画視聴を約20分間加算することになる。60代は4時間以上をテレビの前で過ごしているのであるから、そのような年齢層に向けたテレビの「葬送関連の特集」が強い影響力を持っていることは間違いない。

そこで、私は2014年1月から現在にかけて、約1年間余にわたり、テレビでどのような葬送の特集が組まれているかを追って記録をした。たとえば、14年2月26日特集タイトル「誰が守っていくの?お墓の継承問題」(放送局TBS、番組名「朝ズバッ!」)の内容は、13年に亡くなったNさんの葬送を追うというドキュメンタリー方式。そこでは、合同墓と合同墓をサポートするNPO法人が紹介された。

その同時期、他のバラエティー番組等においても合同墓を推奨する傾向が見られ、2月21日にテレビ東京にて放送されたトークバラエティー「たけしのニッポンのミカタ!」では樹木葬が紹介された。「墓にかかる費用の平均(東京)は総額285万円、東京都内の都立霊園では倍率が10倍を超える霊園もある」と都心の墓不足を強調し、その後は樹木葬の下見バスツアーの映像へと続いた。

昨年春からは、テレビ全体の流れとして、一挙に「これまでの葬送文化を否とする傾向」になっていった。たとえば、14年3月6日の放送の日本テレビ「あのニュースで得する人損する人」では、お笑いコンビ「アンガールズ」の田中氏が墓石業者に扮し「再現ドラマ風の寸劇」を演じたが、事実か創作かも曖昧で(「事実を基に再構成しています」との表記があったが)、にもかかわらず墓石に対するネガティブな印象を残してしまうようなもので釈然としない気持ちが残った。

3月28日放送の「スーパーJチャンネル」(テレビ朝日)でも「葬儀に異変!?…トラブルも 通夜・告別式ない『直葬』急増」と題し、廃棄された墓石が砕石機の中にのみ込まれる映像、直葬を肯定し自身の葬儀も直葬で行う予定という一般男性(81歳)へのインタビューへと続いた。男性は「火葬場にも誰も来る必要はありません。もちろん娘が死んでも僕は行きませんけどね」と語った。彼は代行を行う団体に自分の死後の処理を委託するとのことである。続いてセレモニープランナーの男性が登場し、直葬について「最近では社会的地位のある人または地元の名士にもご利用いただいています」と説明した。

このような一連の報道を見ていると、あたかも社会全体が葬送文化解体に傾いているかのような印象を持つが、実際のところはそうでもない。家族がいながらも直葬を業者に委託するという事例は稀であるし、都市部で直葬が増加しようとも葬儀業界全体では葬儀社の売り上げ・件数ともに伸びているのが実情である。

葬送に関連する放送傾向がさらに過激になったのは14年夏。7月10日放送の「あのニュースで得する人損する人2時間SP」(日テレ)の特集は「増加!お墓を勝手に撤去トラブル&今注目の墓じまいの実態」とし、「お墓まいりに全然行っていない」「お墓まいりはしばらく行かないね」など墓まいりに否定的な街の人の意見ばかりが連続して映し出された。続いて画面に表示されたのは「究極の選択墓じまい」の文字で、「墓じまいの専門業者」が墓石の撤去から海洋散骨まで行う一連の映像が特集のまとめであった。

「墓じまい」という言葉(もともとは事情があって仕方なくする際に行うサービスの名目であったもので積極的に墓を取り壊す意ではないが、のちに意味がすたれた)の連発にも違和感を持ったが、その後、他局でも「墓じまい」の特集が組まれ(8月14日放送TBS「ひるおび!」における墓じまい特集など)「墓じまい」という言葉の独り歩きが続いた。

今年の1月9日テレビ朝日「スーパーJチャンネル」で放送された「ゼロ葬特集」も気にかかった。「葬儀は行わず、墓は作らず、遺骨は火葬場から引き取らない」のがゼロ葬とのことだが、私個人としては、そうした考え方には賛同しかねる。そもそもテレビという公共のメディアを通じて葬送儀礼の放棄を推奨することは、不自然ではないだろうか。「人が亡くなっても何もしない」が一般的になった場合、どのような殺伐とした社会が形成されるのか想像に難くない。葬送とは他者の死について学ぶ機会でもあるのだから。

私は「ゼロ葬」という言葉を知った時、エドガー・アラン・ポーの短編小説「悪魔に首を賭けるな」を思い出した。この作品は1841年に書かれた作品であるにもかかわらず、まるで現代日本の「ゼロ葬の到来」を予見するかのような描写で終わる教訓譚である。

主人公の友人ダミットは壊滅的なまでに信心を持たず、亡くなっても誰も彼の葬儀の費用を支払わないし(支払わない者は「超絶主義者」と呼称される)、その遺体は人間として埋葬されることもなく動物の肉として売り払われてしまうのである。この話は人の生き方と葬送の倫理がつながっていることを知らしめる。今年2月には、高齢者の相談員をしている男性から「遺族がいるにもかかわらず、ゼロ葬という言葉の影響か、そのような事例が実際にあった」と聞き、危惧の念を抱いているところだ。

しかし、14年後半から意外な方向からのムーブメントが起こってもいる。インターネット上の仏教ブームを反映してか、仏教を題材としたテレビ番組(僧侶によるトーク番組、寺院探訪番組など)があきらかに増えているのだ。ツイッター等のソーシャルネットワークを通じて視聴者の反応がダイレクトに放送局に届く時代となり、それらの動きを無視できなくなったという影響もあるだろう。

総務省の調べでは「国民の過半数がソーシャルメディアを利用しており平日のテレビ視聴の20%が携帯電話との並行利用である」というから、それもうなずける。むろん仏教は短期的な流行で消費されるような存在ではないから、「仏法僧を求める長期的ニーズ」がネットを通じて発露したと見たほうが適切か。これらのムーブメントが、葬送儀礼解体に傾くメディアの動向の歯止めになる可能性は見いだせるだろう。

具体例としては今年2月9日にテレビ朝日「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」では供養のセーフティーネットとして寺院の合葬墓が紹介されていた。メディアの新たな動向が実際の布教につながるかどうかは寺院の地道な活動に懸かっていることは言うまでもないが、やはり好機と捉えるべきであろう。