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シャルリ・エブド事件後のフランス ― 涜神認める「表現の自由」

上智大准教授 伊達聖伸氏

2015年4月24日付 中外日報(論)

だて・きよのぶ氏=1975年、宮城県生まれ。東京大大学院人文社会科学研究科基礎文化研究専攻単位取得退学後、フランス・リール第3大博士課程修了。博士(宗教学)。2008年、オーギュスト・コント賞受賞。東京外国語大講師などを経て上智大外国語学部准教授。専門は宗教学、フランスにおける政教分離、ライシテ。著書に『ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史』(勁草書房)など。

フランスの風刺週刊誌「シャルリ・エブド」とユダヤ系食品店での銃撃事件は、フランス発のニュースとしては久しぶりに日本でも大きく報じられた。その熱の冷めやらぬなか、「イスラム国」に人質に取られていた日本人2人が殺害され、デンマークでもパリの事件を模倣したと見られるテロが起きた。それぞれの事件や、これらをどう関連づけて理解するかについては、すでに多くの報道や論説が書かれてきた。

複雑さと不透明さ

「シャルリ・エブド事件」の背景として、冷戦後および9・11後の世界秩序や、フランスおよびヨーロッパにおけるムスリム系移民の社会的処遇など、基本として押さえておくべき事柄はある。しかし、実際には様々な要因が複雑に絡まりあい、事件をどのように読み解くことができるかは、まったく一筋縄ではいかない。今日の世界の複雑さと不透明さに応じた複数の切り口が要請されよう。そして、多様な解釈にさらされている事件とその後の動向や人びとの反応に、「違和感」を覚えている者も少なくない。

私自身は、事件の第一報に接したとき、衝撃は受けたが、以前から十分に起こる可能性のあったことだとも感じた。多少時間が経つと、このような事件を招きうる問題の構図が長いあいだ変わっていないこと自体が問題だとも思い、表現の自由とその限界について改めて考えたりもした。その際、フランスで支配的な議論――表現の自由は宗教批判を通じて歴史的に勝ち取ってきた譲れない価値である――と、日本でしばしば見られた論調――品のない風刺を続けてきたシャルリ紙の自業自得である――の落差に戸惑いつつも、そのような違いとなって現われてくることに、さもありなんと妙に納得したりもした。

そのうえで、次のような疑問も湧いてくる。以前から十分に起こりえた事件なら、なぜこのタイミングで起きたのか。また、表現の自由が問題の焦点のひとつであることは間違いないとしても、それだけではないとしたら、他にどのような点に注目すべきなのか。これについては、実はフランス研究の文脈からだけではなかなか見えてこない。

現代シリア政治を専門とする高岡豊は、このタイミングで事件が起きた背景には、台頭する「イスラム国」と巻き返しをはかるアルカイダ系グループの確執があったと論じる(「『シャルリー・エブド』襲撃――イスラーム過激派の事情」『SYNODOS』2015年1月19日)。また、中東近現代史を研究する栗田禎子は、「表現の自由か宗教の尊厳か」という対立軸だけで事件を考えると、EU諸国のシリア政策によって作りあげられた軍事集団がヨーロッパ内部で爆発したという「最大のポイント」が隠れてしまいかねないと指摘する(西谷修との対談「罠はどこに仕掛けられたか」『現代思想』3月臨時増刊号)。

イラク政治研究の酒井啓子によれば、中東のイスラーム諸国の政府は9・11の際とは異なり、即座にテロを断固として糾弾する姿勢を見せたが、それは9・11以降の深刻な出来事が現在も続いていることを痛いほど知っているからだという。しかし、被害者を悼む連帯の可能性は、「私はシャルリ」の標語が出回り、またシャルリ紙が事件後最初となる号にムハンマドの風刺画を掲載したことにより、すぐに潰えてしまった。イスラーム社会にも表現の自由を求める声はあるが、それは「私はシャルリ」の合言葉には同調できない(酒井啓子「シャルリー・エブド襲撃事件が浮き彫りにしたもの」『世界』3月号)。

中東を専門とする研究者たちの指摘に、私も大いに目を開かれてきた。問題はきわめて重層的で複雑な広がりを持っていることを意識したい。そうすれば、「テロに反対、表現の自由を守れ、『私はシャルリ』」と唱えて済む話ではないことがわかるだろう。

以上のことを確認したうえで、やはり私としては、フランスのライシテ(政教分離、世俗主義)を研究してきた者として、おそらく日本の感覚では多少わかりにくいと思われる点を指摘しておきたい。それは、フランスの表現の自由の特徴である。この国では、相手の人格を中傷することは違法だが、神や宗教を冒涜することは認められている。民族・人種・文化・宗教の違いを超えて、自律した市民が政治参加を通じて作りあげられるのが共和国である。人権宣言に集約されるフランス革命および共和主義の理念は、革命前のアンシャン=レジーム(旧体制)下で強大な権限を有していたカトリック教会からの解放という文脈において形成された。宗教批判を通して人権が確立されたこの国では、もちろん宗教を信仰する自由も人権の観点から保障されているのだが、宗教は人権を抑圧するものと見なされてしまうこともある。名誉毀損は罪になるが、涜神は犯罪を構成しないのである。

なくならない差別

ユダヤ教徒とムスリムの処遇の差異も、このことに関係している。カトリックが国教だったアンシャン=レジーム下で差別されてきたユダヤ教徒にとっては、フランス革命の理念は文字通り解放の意味合いを持っていた。もっとも、その後の近代フランス社会においてもユダヤ人差別はなくならず、第2次世界大戦中に多くの命が失われたことは改めて指摘するまでもない。ただ、その反省もあって、現在では反ユダヤ主義的な言動は法的な取り締まりの対象になっている。

フランス革命の理念はムスリムにとっても解放の理念として機能しうるはずだが、植民地における彼らの地位は「原住民」であって「フランス市民」ではなかった。そして今日ではフランス市民であるはずの彼らに対して、しばしば社会的な差別があることも残念ながら現実である。ところで、イスラーム嫌悪を表わすイスラモフォビアという言葉は、イスラームに対して恐怖を覚えることであり、それ自体では犯罪とはならないのである。

このような違いが、当事者たちに二重基準と受け取られうるものであることは想像に難くない。しかしその一方で、人種や宗教を超える共和主義の理念が、実際にムスリムを社会に統合する役割を果たしてきたことも事実である。スカーフ禁止法などを思い浮かべると、フランスは他のヨーロッパ諸国にも増してイスラモフォビアの傾向が強いという印象を持つかもしれないが、実際にはムスリムに好感を抱くフランス人の割合は、ヨーロッパ各国と比べて高いのである。

雰囲気に変化なし

私はこの2月から3月にかけて、ストラスブールに20日ほど滞在した。今回の事件は「フランスの9・11」とも呼ばれただけに、フランスもアメリカのように戦時体制に入ってしまうのではないかという一抹の恐れもないではなかった。事件後のフランスを肌で感じてみると、モスクやシナゴーグは銃を持った憲兵や警察が厳重な警戒に当たっていたが、市民生活に大きな雰囲気の変化は特に見られず、多少なりとも安心した。今回のような事件は、残念ながら今後も起こる可能性があるだろう。掛け声は勇ましい「テロとの戦争」とは異なる解決の方向性が、なんとか探れないものだろうか。

私としては、表現の自由は無制限ではなく、やはり一定の配慮をしながら限界を設けるべきであろうと考えている。自己検閲すべしというのではなく、今日の国内外の情勢に照らして実践感覚として再定義されるべきではないかということだ。ただし、フランスの論調を見ていると、そのように考える人は少数で、主流ではないようだ。

しかし、共生というのは、誰もが一定のフラストレーションを溜め込むのを甘受することではないだろうか。ライシテの基本法である1905年の政教分離法は、公認宗教制度を廃止しつつ信教の自由を保障するというもので、制定当時はカトリック側も共和派側の多くも不満を味わったものである。それが今日にまで及ぶ共生の枠組みを規定し続けてきた法律だということに、もう一度きちんと思いをはせたい。