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生命の根源から考える農学 ― 人間と自然の関係問い直す

龍谷大農学部長 末原達郎氏

2015年6月17日付 中外日報(論)

すえはら・たつろう氏=1951年、京都府生まれ。京都大大学院農学研究科博士課程修了。農学博士。アフリカを中心に、世界各地の農村のフィールドワークで食料問題を研究する。同大学院農学研究科教授を経て、龍谷大農学部教授。著書に『人間にとって農業とは何か』『文化としての農業 文明としての食料』など。

龍谷大は今年4月、農学部を開設した。農学部の新設は、私立大学としては35年ぶりのことだという。むしろ私自身は、どうして35年間も新しく農学部がつくられてこなかったのか、と違和感を持っている。

それでは、35年間農学部がつくられてこなかった理由は、どこにあったのだろうか。私は、大きく分けて、二つの理由があったと考える。

一つは、1960年代以降現在に至るまで、日本の社会は工業化社会への道を邁進していたからである。しかも、工業化社会になると、農業は必要ないものと考えられたからである。もちろん、これは全くの誤解である。

実際には、50年代以降、日本の農村から多くの人材が都市部へと移動した。工業製品の生産者となり、あるいは、その販売のためのサラリーマンになるためである。さらに、都市の拡大と共にサービス業に就職する人々も増えた。

この時代、日本の社会は、たしかに農業を中心とした社会から工業を中心とした社会へと移行していったと考えられる。これは、経済的な側面だけでなく、人々の価値観においても、工業化が起こっていたと言えるだろう。

それでは、この時代、農業生産者はどうしていたのだろうか。当時、農民とか農家と呼ばれていた多くの農業生産者は、実は家業としての農業を捨てずに、兼業化への道を歩んでいったのである。すなわち、農家の中では、農業に従事する「かあちゃん」や「じいちゃん」や「ばあちゃん」と共に、サラリーマンとして働きに出る「とうちゃん」や息子たちが併存していたのである。

これは、農家独自の、工業化社会への適応であり、生き残り戦略だったのである。先祖伝来の農地を手放さずに農業を継続し、農業を省力化し、その一方でサラリーマンになり、あるいは出稼ぎに出かけることによって、農業以外の所得を得て、生活体としての農家の経済状態を維持するという戦略である。

実際、日本の農家は、60年にはサラリーマン世帯より所得が少なかったが、72年以降はサラリーマン世帯よりも収入が高くなっている。これは、農業による所得が増えたからではなく、兼業化により農外所得が増えたことによる。

一方で、60年代から始まり、現在にまで続く工業社会化という大きな社会変動の中で、農業は“格好悪い”ものとされていった。農村や農業から脱出し、都市生活者となり、サラリーマンとなることが、農家自身をも含めて多くの人々の生活や目標となり、そのような価値観が形成されたものと思われる。

一方、学問としての農学は、日本農業全体の衰退過程の中で、縮小傾向とはならなかった。多くの大学の農学部では、実学としての農業から離れ、サイエンスとしての農学に重心を移して、特化することで生き残りを図っていった。

しかも、最近になってサイエンス自体が、無生物を対象とした工学的サイエンスから、生物を対象とする農学的サイエンスへと徐々にシフトしてきたことにより、農学部はかえって拡張の可能性を増やしていったことになる。

たとえば農学部の中でも、バイオサイエンスに関わる研究分野が大きな期待を寄せられ、拡張されるようになってきた結果、農学部という名称そのものを、生物資源学部やバイオサイエンス学部、生命科学部へと、名前を変えてしまった大学も少なくなかった。

このようにして、農学は科学としての専門分化を進める一方で、現実の農業とのコミットを減少していったものと言わざるを得ない。35年の間農学部が開設されなかったというのは、こうした農学の農業離れ、生活離れの現象の一側面とみることができるだろう。

こうした一連の傾向に対し、龍谷大農学部は、全く新しい考え方から農学に挑もうと考えている。それは、人間の生命をその根源から考え、様々な生物の生命を詳しく学び、さらに多くの生命体と共にわれわれ人間の社会が共存し、存続していくことを実践的に考えることのできるような農学部の創設である。しかも、このことは、現代文明の中では、なかなか困難なこととなってきている。

生命のことを考えるのは、仏教系大学の大きな使命の一つだと、私自身は考えている。もちろん、より哲学的な側面、仏教学的な側面から生命を考えることもできるであろう。

しかし、その一方で、非常に具体的な問題や日常的な問題から、生命を深く考えることもできるのではないかと思う。つまり、日々の食生活や農業を手がかりに、人間の生命の問題や農業の果たす役割を考えることもできると、農学研究者である私は思う。

われわれ人類は、生物体としての限界と宿命を併せ持っている。われわれは、動物であるから、自らの力で光合成を行うことができず、その結果、植物体を直接食べるか、植物体を食べた動物を食べるか、いずれかの方法をとらなければ生きていけない。いわば、生命を維持するために、他の生命に依存しなければならないという宿命を負っている。それだからこそ、人間には様々な生物と共に、自分たちの社会を共存させていく役割と責任がある。もし、人間だけが、他の生物に対して優位で、他の生物の利用権を握っていると考えるとすると、それは傲慢であり、間違っている。生命研究こそ、農学の中で学ぶに適した課題である。同時に、日常生活の中から人間と自然との関係性を問い直し、両者のいい関係を模索し実践していくことは、農学全体にとっても重要な課題となる。

同様のことが、農学研究者のみならず、一般の市民についても、言えることなのではないか。自らの食事を通して、その役割と深い連鎖とを考えると、それは自然における自らの存在や人間の社会のあり方を考え直し、再認識する機会になる。われわれが生きている社会の中で、どのように生命を存続させるのか、他の生命との関係をどのように見いだしうるのか、という問いに結びつく。

振り返ってみれば、現代文明ほど、こうした本来の人間の生命のあり方や食のとり方と、かけ離れたところで食料生産を行っている社会はないだろう。現代文明では、人間の食のために、すべての植物生産や動物生産が行われていると考えているが、それは正しいのか。

また、かつては、自分の家や近所の農家の片隅で栽培されていた農作物が食卓へとのぼり、食物として身体の内部に組み入れるようになっていたものが、今でははるか彼方から、場合によっては地球の反対側から、飛行機や船で運ばれてきたものが、われわれの食卓にのぼっている。農作物の生産者と消費者を結ぶ回路ははるかに長くなり、その全過程は、ますます見えにくくなってきている。

一方で、食料生産という過程が農業という自然と人間との共同作業である部分を通り越して、はるかに人工的になり、人間が一方的に自然を管理するものに近づき、利益を上げることのみを優先した仕事へとシフトしてきている。

こうした食と農をめぐる問題は、もはや単なる自然科学だけでは解けなくなっている。社会科学の側面をも含めて、今こそ総体としての科学が、明らかにすべき課題だと考える。また、それを通じて、さらにわれわれの社会もしくは文明そのものを、根底から考え直し、新たに造りかえていく実践的な側面を持った課題だと考えている。

龍谷大には、浄土真宗に基づいた五つの「建学の精神」がある。すべてのいのちを大切にする「平等」の心、真実を求め真実に生きる「自立」の心、常にわが身をかえりみる「内省」の心、生かされていることへの「感謝」の心、人類の対話と共存を願う「平和」の心、である。私には、いずれも農学の研究方向とぴたりと一致しているように思える。

おそらく、これからの21世紀には、食料問題も人口減少もさらに深刻になっていくだろう。われわれの社会が直面している問題は、はるかに大きく、われわれの文明の存亡を左右し、価値観の変化をも必要にしてくるようになると思えてならない。

農学を切り口にすることで、直接こうした問題の解決へと向き合っていけるチャンスがある、と私は考えている。若く可能性を持った多くの人材が、龍谷大の農学の分野から、羽ばたいていくことを夢見ながら、実践的な授業を行っていきたい。