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臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱に寄せて

花園大教授 安永祖堂氏

2016年1月1日付 中外日報(論)

やすなが・そどう氏=1956年、愛媛県生まれ。花園大卒。臨済宗天龍寺派大本山天龍寺に入門し、前管長平田精耕老大師の下で15年間参禅修行。現在、天龍寺国際禅堂師家ならびに花園大文学部仏教学科教授。主な著書に『私が生きて・掴んで・実践したもの』(共著・宗教心理出版)、『現代語訳碧巌録』(四季社)、『禅 ぜん ZEN』(禅文化研究所)、『一から始める禅』(監修・ダイヤモンド出版)、『笑う禅僧』(講談社現代新書)など。
趙州塔を殴る禅僧 禅者の手荒な感謝

こんなことがあったそうだ。

少しく以前、臨済宗の僧侶有志による訪中団が結成されて、中国各地の祖跡を巡拝したのだそうである。そしてそれは、旅程の中で趙州塔を訪問したときの出来事であったという。

団体バスから降りて塔の下にやって来たとき、いきなり一人の禅僧が「この野郎! おまえのおかげで! おまえのせいで……」と叫びながら、拳骨で趙州塔を殴り始めたのだそうである。

わかる。わかるような気がする。おそらくこのお坊さんは雲水修行僧の頃に「趙州無字」の公案を与えられて、室内で大変なご苦労をされたに違いない。

「趙州和尚、因みに僧問う、狗子に還って仏性有りや、也た無しや。州云く、無」という『無門関』第一則のこの公案は、臨済禅伝統の公案修行の最初の難関だ。

真剣に参じれば参じるほど透過に四苦八苦したであろうから、別に趙州禅師に恨みがあるわけではないが、この和尚さんのように思わず塔の礎石くらいは殴りたくなるかもしれない。

ただし、このような振る舞いは他宗教、あるいは他宗派の皆様としてはご理解に苦しまれるだろう。

聖地巡礼とか仏跡巡拝とか、どの宗教であっても最も敬虔であるべき旅路にあってこのような礼を失した不遜な行動はあってはならないし、あるはずもないに相違ない。

しかし、「抑下の托上」(あまりに素晴らしすぎて、手荒い祝福をする)という禅語もあるように、実はこのあたりが禅者一流の祖師に対する報恩謝徳の感謝の表現かもしれない。

まさに趙州禅師、あなたの無字の公案のおかげで禅僧としての今日があります、と衷心より感謝しているのである。

実にこのエピソードは、いよいよ「臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱」という節目の年を迎えるに当たって、私たち臨済宗の末孫に連なるものに一つの示唆を与えてくれているのではないだろうか。

ただあるがままに 無事是貴人の境地

ところで中国唐代を代表する禅者、臨済義玄禅師(?~867)の語録『臨済録』には幾つかの鍵語があるが、「無事」(ブジ)はその主たるものと言ってもよいであろう。

「無事」とは漢音で読むなら「ブシ」、呉音で読むなら「ムジ」、つまり「ブジ」と読むのは漢音呉音混淆読みである。

およそ「安楽無事」という言い方が『戦国策』に、「国家無事」という言葉が『史記』に見えるように、元来は中国古典語であった。

ただし、禅語として用いられるようになって、特に馬祖道一(709~788)下の洪州宗では非常に重要な位置を占めるようになる。

すなわち「無事」とは、自己のありのままであり、一切はもともと自己に具わっているのだから、あえて外に求めることもなく、内に求めるものも無い。ただあるがままということになる。だから、そのような境位に至れば、それこそ真の「無事是貴人」だ。

ついでながら巷間に「無事これ名馬」という箴言のような一句がある。これについては菊池寛が『優駿』(1941年6月号、日本競馬会)に次のような文章を寄せている。

時として、競馬関係の人から書を求められたりした場合に、僕はよく「無事之名馬」といふ文句を書き流してきた。そのために、この文句が、意外に有名になってゐるさうだが、決してこれは、僕の創意になる文句といふわけではない。

「無事之貴人」といふ有名な文句がある。僕はただこれをもぢって書いてみたまでだ。色紙をつきつけられて、その時、これと思って、書いてみたいといふ文句も、別段、思ひ浮かばなかったので、突嗟に「無事これ貴人」をもぢって、「無事これ名馬」と書いた。

言葉は生き物だ。このような一人歩きまでしてしまう。「無事」という禅語からは、ずいぶんと異なった意味の成句へと変貌を遂げたものではないか。

さて、本題である。唐代洪州宗にあって絶対視された「無事」は、時代が下って宋代の頃にはその価値が相対化される。

さらには、いわゆる「無事禅」(悟りを求めない禅)として批判の対象に成ることまでもあった。

しかし、大陸から宋代禅を受け入れた日本では、室町期の抄物と呼ばれる禅籍の講義録を見る限り、「無事」をむしろ肯定的に捉えているようである。

しかし、このような「無事」の受容に痛烈な批判を加えたのが、白隠慧鶴禅師(1685~1768)である。

祖師の言葉であれ 時節により大毒に

禅文化研究所には積翠軒文庫旧蔵の禅籍の一部が収蔵されているが、その中に『臨済慧照禅師録中津自性寺提州和尚手鈔講本』という貴重書がある。

これは、白隠下の神足であった提州禅恕禅師が、白隠禅師の『臨済録』開筵にあってその提唱を筆録した書き入れ本である。

ゆえに録中の諸処に白隠禅師の肉声と思われる記載が見られるので、参考までに「無事是貴人」の箇所にある書き入れを紹介しておこう。

鵠林云ク、林才ガヲモシヤツテモ時節々々ガアル林才ノトキハ平常無事ガヨイデアロウ今時ハコンナコトハ大毒ジヤ

つまり、たとえ臨済禅師がこのようにおっしゃっても時節というものがある。禅師の時は平常無事がよいかもしれないが、今ではこれは大変な毒であるというわけだ。

同様の発言は他にも多く見られる。『白隠禅師法語全集第三冊』(1999年、禅文化研究所)にもこのようにある。

只だ無事是れ貴人と称して、飽まで飯を喫して日々坐睡す。掛絡も綿衣も皆な化皮ならんか。

すなわち、「上求菩提下化衆生」のために生涯を通して菩薩行に徹することを主張した白隠禅師にしてみれば、「無事」はたとえ臨済禅師の教えであってもすんなりと受け入れるわけにはいかなかった。

大道の淵源に徹し 無事を説くのは是

白隠禅師にとって「無事」は、むしろ不生禅を説いた盤珪永琢禅師のエピゴーネンを糾弾する際の蔑称としても用いられたのである。

自らが本当に大道の淵源に徹してから「無事」と説くのならばよいが、そうでなくては徒疎かに「無事」と納まっていてはならないと修行僧たちを戒められたのであろう。

しかし、これこそが「無事」を説いて下さった臨済禅師に対する白隠禅師一流の最高の報恩謝徳行の表わし方であろう。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」(松尾芭蕉)

偉大な両禅師の遠諱に出会えるというのは誠に得難い法幸ではあるが、私たち一人ひとりに禅者ならではの報恩行を如何に努めるか、今はそのことが問われるのではないだろうか。