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神名帳と修正会・修二会 ― 神々を勧請する年頭行事

國學院大准教授 大東敬明氏

2016年4月8日付 中外日報(論)

だいとう・たかあき氏=1975年、東京都生まれ。2009年、國學院大大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。博士(神道学)。専門は神道史学。15年から同大研究開発推進機構准教授。共著『言説・儀礼・参詣 〈場〉と〈いとなみ〉の神道研究』(弘文堂、2009年)。
はじめに

東大寺修二会(お水取り)は、大仏殿の東側の高台にある二月堂で行われる。

この法会を聴聞にうかがい、僧が「神名帳」(『二月堂神名帳』)を読誦して、神々を勧請する声を聴いていると、「神社は神道や神々、寺院は仏教や仏たちとのみ関わる」という理解は、必ずしも正しいものではないことを実感する。神々は神社にのみ座すのではなく、寺院の法会でも勧請されるのである。

日本史の中での人々と神々との関わり(神道史)を考える上では、寺院や法会の中の神々についても知る必要がある。

本稿で取り上げる「神名帳」は、神々や神社の名を書き上げたものであり、名簿として用いられるもの、神々を勧請するために読誦されるものなど、様々な種類がある(三橋健『国内神名帳の研究』)。現在でも、近畿地方を中心とするいくつもの行事で「神名帳」は読まれている。

東大寺修二会は、その代表である。

東大寺修二会の概説

東大寺修二会の本行は、現在では3月1日未明から15日未明まで行われている。かつては旧暦2月に行われていた。修二会とは、「修二月会」のことで、2月に修する法会という意味である。

この法会は、二月堂本尊の十一面観音に対して罪を懺悔する「十一面悔過」をその中心とし、1日に6回(日中・日没・初夜・半夜・後夜・晨朝)の行が行われる。このうち、初夜の上堂の際、法会に出仕する僧(練行衆)は、大きなたいまつに導かれて、二月堂下の参籠宿所から二月堂へ登廊を登る。このたいまつは、練行衆が堂内へ入った後、二月堂の欄干で振られる。このためこの法会は「おたいまつ」の通称で親しまれている。また、12日深夜(13日午前1時すぎ)、二月堂下の閼伽井(若狭井)から本尊に供える水をくむ(水取り)。「お水取り」の通称は、これによる。

東大寺修二会と神祇・神道

東大寺修二会が十一面悔過を中心とすることは先述の通りだが、これに付随する行事の中には、神々や神道に関わるものもある。

まず、本行が始まる前日の2月末日には、練行衆の中で除魔や結界などを司る咒師により「大中臣祓」が行われる。これは、心身を清浄にすることが求められている練行衆に対する祓である。なお、練行衆は二月堂へ登る前に、小さな御幣を用いて各自で祓を行う。

法会が始まった3月1日の夕方と法会が終わった15日未明には「惣神所」が行われ、二月堂を取り囲むように鎮座する鎮守社(飯道社・遠敷社・興成社)に練行衆が参拝する。

そして、毎晩、「神名帳」が読まれ、全国各地の神々が勧請される。

神名帳と遠敷明神

東大寺修二会の起源について、院政期に成立した『東大寺要録』二月堂の項に記述がある。そこでは、実忠和尚が天平勝宝4(752)年に始めたことをまず述べ、その後に、「水取り」の起源を次のように記す。

実忠が十一面悔過を行っている間、初夜の終わりに神名帳を読んだところ、全国の神々が二月堂に影向し、福祐を与えたり守護したりした。しかし、若狭国の遠敷明神は、魚を捕っていたために遅れて来た。法会をありがたいと喜んだ遠敷明神は、閼伽の水を奉ることを約束した。すると、岩から黒白の鵜が飛び出し、その跡に水が充満した。このため、東大寺修二会では、2月12日(旧暦)の夜に練行衆が、この水をくむ行事を行っている。

このように神名帳の読誦は、東大寺修二会「水取り」の縁起と結び付いている。

神名帳読み上げの歴史

この修二会で、いつから神名帳が読誦されていたのかは明らかではない。広く修正会・修二会でも同様である。

しかし、東大寺修二会の日記である『二月堂修中練行衆日記』大治3(1128)年条には、出仕した僧のうち、2人に「神名帳」と注記がある。ここから12世紀前半には行われていたことが分かる。

神名帳の本文

『東大寺修二会神名帳』は、全部で9段に分けられている。まず「例に依って大菩薩、大明神等、勧請し奉らん」と読み、「金峰大菩薩、八幡三所の大菩薩……」と大菩薩号を持つ神々が勧請される。吉野の金峰大菩薩は大和国を代表する神と捉えられていたのであろう。また八幡三所大菩薩は東大寺の鎮守神であり、手向山八幡宮にも祀られる。このほか、気比大菩薩、気多大菩薩などの名も読まれる。

次いで第2段より第7段まで、廿五所大明神、飯道大明神、水分大明神……と各地の神々が勧請される。

第8段では、天一・太白・牛頭天王といった災いをもたらす神々と、1万3700余所の全国の神々が勧請される。

最後に八島御霊、霊安寺御霊、西寺御霊などの御霊が勧請される。この段を読む際には、低い声で読む。

奈良県下の神名帳を読み上げる行事

修正会・修二会において、法会の場に神々を招く例は東大寺に限らない。

奈良県下の修正会・修二会では、神名帳を読誦して神々を法会の場に招く例があり、法隆寺(斑鳩町)の上宮王院修正会、西円堂修二会、金剛山寺(矢田寺、大和郡山市)や霊山寺(奈良市)の修正会でも行われている。このほか、池田源太は、県東部の事例を中心に神名帳を読む修正会を紹介している(『大和とその周辺 歴史と民俗』)。

矢田寺と霊山寺修正会の神名帳

去年と今年、矢田寺や霊山寺のご厚意により、両寺の修正会の神名帳読誦を聴聞することができた。以下、得られた知見を覚書として記したい。

矢田寺の修正会は1月1日から3日にかけて行われる。この中で、毎晩、神名帳を読んでいる(平成27〈2015〉年、同28年聴聞)。

霊山寺では、1月3日に神名帳を読誦する(平成28年聴聞)。

両寺で用いられる神名帳は、神々を12カ月の守護神とするものである。これは、年頭に神々を勧請することで、1年の守護を願う意味もあるのであろう。

矢田寺のものは江戸時代の藤貞幹(1732~97)が書写した『恒例修正月勧請神名帳』と類似する。同系統のものは県下のいくつかの寺院の修正会や、天理市長滝町の年頭儀礼(西田長男「花鎮祭一斑」『日本神道史研究』3所収)で用いられている。ただし、矢田寺で用いられている神名帳と『恒例修正月勧請神名帳』を比較すると、矢田寺のものは「矢落大明神」として、同寺と縁の深い矢田坐久志玉比古神社(大和郡山市)が加えられている点に特徴がある。

霊山寺のものは肥後和男が『宮座の研究』で紹介した『恒例修正二月御行勧請神名帳』と類似している。肥後は、これを現在の京都府木津川市の神社が所蔵するとしており、霊山寺と地理的にも近い。

このように共通する神名帳がいくつかの寺院や年頭の諸儀礼で用いられているのは、修正会・修二会が伝播してゆく過程で、その一つとして神名帳が伝わったためであると考える。そして、神名帳の読誦は、地域の中心となる寺院・堂宇などの修正会・修二会や、様々な年頭儀礼の中にも取り込まれていった。東大寺修二会の神名帳は有名であり、数多くの人々が聴聞する。それは、神名帳読誦の代表例であるが、本稿で取り上げた奈良県のほか、京都市南区、京都府向日市周辺や南山城、和歌山県の高野山周辺地域の年頭の行事などでも行われている。

これらの諸行事を丹念に調べてゆけば、思想史の視点とは異なった寺院における神々と人々との関係を明らかにすることができるだろう。「神仏習合」が注目されて久しいが、このような行事の歴史や伝播の過程、現行儀礼の把握は、まだまだ十分であるとは言いがたい。一方で、「神名帳」を読んでいた行事の中には、奈良県吉野郡野迫川村弓手原のオコナイのように継続が難しくなっているものもあるとも聞く。

本稿がきっかけとなり、東大寺修二会をはじめ、年頭の行事における「神々を勧請する声」に耳を傾ける人々が多くなれば幸いである。なお、金剛山寺・霊山寺の修正会の聴聞や調査に際しては、両寺の方々に、種々のご配慮をいただき、また、大変お世話になりました。記して御礼申し上げます。