ニュース画像
落慶法要に続き、つき初めする小堀管長と見守る坂井田住職(右)
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

鈴木大拙没後50周年に寄せて ― 時代超え「大悲」の心読む意義

駒沢大教授 小川隆氏

2016年7月27日付 中外日報(論)

おがわ・たかし氏=1961年、岡山市生まれ。83年、駒沢大仏教学部禅学科卒。90年、同大学院仏教学専攻博士課程単位取得(86年9月~89年3月、日中政府交換留学生として北京大哲学系高級進修生)。現在、駒沢大総合教育研究部教授。博士(文学)〔東京大、2009年〕。著書に『神会―敦煌文献と初期の禅宗史』『語録のことば―唐代の禅』『臨済録―禅の語録のことばと思想』『続・語録のことば―《碧巌録》と宋代の禅』『語録の思想史―中国禅の研究』『禅思想史講義』『「禅の語録」導読』がある。
理性主義批判に禅と大拙に着目

今年は、臨済禅師1150年の遠諱にちなみ、いろいろな活動が展開されています。その一つとして、5月13、14日、京都の花園大で「『臨済録』国際学会」が開催されました。同大の衣川賢次教授の主宰のもと、内外の多くの学者が集まって、『臨済録』と臨済禅を軸とした多彩な研究発表と討論が展開されました。得られた刺激と啓発が多すぎて、内容の咀嚼にはまだまだ時間がかかりそうですが、ともかく、頗る充実した忘れがたい2日間となりました。

そのなかで個人的に最も印象に残ったのは中国の葛兆光教授の基調講演「なおも胡適の延長線上に―中国の学界における中古禅宗史研究についての反思」でした。冒頭で葛先生は中国の1980年代にまきおこった「文化熱」のことを語られました(「熱」はブームの意)。私もちょうどその頃、北京の大学に留学していたのですが、その熱気を日々強烈に感じながら、それでいて、いったい何が起こっているのかは、まったく理解できていませんでした。

今回、葛先生のお話によって、ようやく約30年ぶりに解ったのですが、一言でいえば、それは、文化大革命を経験した知識人たちが、政治批判を許されない現実の下、中国を後進性に導いた原因を伝統文化のなかに批判的に探究しようとした運動だったのでした。

そして、その「文化熱」のもりあがりのなかで重要テーマの一つとしてにわかに浮上してきたのが「禅」でした。その契機となったのが、ほかならぬ葛先生の著作『禅宗と中国文化』だったのですが、では、なぜ、当時、葛先生たち若き知識人たちは「禅」に着目したのでしょうか?

お話によると、そもそものきっかけは、西洋の叛逆的物理学者フリッチョフ・カプラが書いた『物理学之道―近代物理学与神秘主義』(邦訳『タオ自然学―現代物理学の先端から「東洋の世紀」がはじまる』工作舎)という本だったそうです。当時、中国で大ベストセラーになったこの書物は、禅や老荘思想をさかんに引きながら西洋近代の理性主義・科学主義を鋭く批判しており、そこに中国の知識人たちがとびついた、というのです。

中国伝統文化の桎梏と苦闘しながら、一方で中国伝統文化へのひそかな愛着を捨てられずにいた中国の知識人たちは、伝統批判の根拠となりえ、と同時に西洋近代に対抗する根拠ともなりうるものが、実は中国自身の過去の思想のなかにあった、そう感激して、カプラの依拠する鈴木大拙の書物に向かっていったのだそうです。

葛先生のお話を聴きながら、そういえば、と当時の光景が脳裏に甦ってきました。国営の新華書店のほかに、小さな掘っ立て小屋のような個人営業の書店がにわかに学内に現れはじめた頃でした。そこには、それまで見られなかった新しい――といっても日本では一昔も二昔も前に流行ったような――西洋の思想書が次々と並べられ、学生たちが店頭に立ったまま、食い入るようにそれらを読み耽っていました。

伝統の「禅」でなく舶来思想「Zen」

「尼采」「海徳格爾」「仏洛伊徳」「楊格」……。「鈴木大拙」の本はそんな書物といっしょに並んでいました。「禅」は中国の伝統思想のなかから再発見されたというよりも、むしろ「Zen」という舶来思想として西洋から輸入されたもののようでした。当時、奇妙なことのように感じていましたが、今回ようやくその時代的な必然性が解って、私は胸が熱くなりました。

しかし、その話に感じ入ったのは、個人的な懐旧のためばかりではありません。大拙博士が没して当時すでに20年。日本では生前の大拙を知る人の間ではまだ尊ばれていたかもしれませんが、当時すでに、私たち学生だけでなく、私たちが教わった先生たちの間でも、大拙の書物はほとんど読まれていなかったと思います。あんなのは学問じゃない、それより柳田聖山先生の本をよく読みなさい、そう言われた先生もありました。

ところが逆に、つい昨日まで禅とも大拙とも無縁だったはずの80年代の中国で、にわかに大拙の書物の翻訳が続々と出版され(台湾で出ていた訳本のリプリントも少なくなかったようですが)、それを若い知識人たちが目の前で貪り読んでいる。それは禅宗史研究を志望する20代なかばの大学院生だった私の目には、たいへん不思議な光景に映りました。

しかし、今、考えてみれば、それは不思議でも何でもありません。そう、伝統と近代、東洋と西洋、その相克が問題になるところでは、大拙の思索は常に新しい。新しいということは時系列上の流行り廃りのことではなく、本質を掘り下げた思索には、時代の常識の虚を突いて、いつでも人を原点に立ち返らせる力がある、そういうことではないでしょうか。

今年はその鈴木大拙博士の没後50周年の節目にもあたっています。忌日は7月12日。臨済禅師遠諱事業の活況には及ばぬものの、大拙についても、いくつか意義深い記念事業が行われています。たとえば、多摩美術大美術館で開かれている「大拙と松ヶ岡文庫展」(7月2日―9月11日)。期間中、何度か講演会やトークセッションが行われるそうです。また、ふだんは建長寺で開かれている「鎌倉禅研究会」も、7月だけは円覚寺に場所を移し、松ヶ岡文庫長の石井修道先生(駒沢大名誉教授)の記念講演と有志による墓参(東慶寺)が行われました。京都の日文研でも、年末に大拙に関する国際学会を開催すべく、計画が進行中と仄聞します。

出版物では、5月から7月にかけて、大拙博士の著書3点が新たに岩波文庫に収められました。『禅堂生活』『大乗仏教概論』『浄土系思想論』の3書です。『禅堂生活』は、禅僧の修行生活を活き活きと描いた英文著作の翻訳(横川顕正訳)。『大乗仏教概論』は大拙がアメリカで書いた事実上のデビュー作(佐々木閑訳)。『浄土系思想論』は大谷大で教鞭をとった大拙が、真宗の学者との交流を通じて深めた独自の浄土思想を説いた日本語の著作です。

複雑・流動化した世界の「苦」考える

禅・仏教一般・浄土の3方面の成果を示すとともに、この順序でそれぞれ、大拙の鎌倉円覚寺時代・在米時代・京都大谷大時代の経験と思索を代表するものともなっており、さらに各冊の解説も、円覚寺の横田南嶺管長、松ヶ岡文庫の石井修道文庫長、金沢鈴木大拙館の木村宣彰館長(大谷大元学長・名誉教授)という布陣によって、大拙ゆかりの各地そろっての貴重な記念となっています。

時代は遷り変わり、「伝統」対「近代」、「東洋」対「西洋」というかつての問題は、今や、「近代」対「後近代」、「ナショナリズム」対「グローバリズム」という新たな問題に拡大し、救いなく複雑化し流動化しているようです。不幸なことかもしれませんが、世界の「苦」について考えつづけた大拙の「大悲」の心を読む意義は、古びるどころか、今、いっそう新しくなっているように思われてなりません。