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近代仏教は「悪」とどのように向き合ってきたか

明星学園教諭 繁田真爾氏

2017年6月9日付 中外日報(論)

しげた・しんじ氏=1980年、山口県生まれ。早稲田大大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現在、早稲田大現代政治経済研究所特別研究所員も兼職。専門は日本近代思想史、仏教史。博士(文学)。主な論文に「清沢満之『精神主義』再考―明治後半期の社会と『悪人の宗教』」「吉田久一―近代仏教史研究の開拓と方法」など。
死刑制度と宗教界

2016年10月7日に発表された、日本弁護士連合会(日弁連)の宣言が、大きな注目を集めている。――2020年までに死刑制度の廃止を目指す――。この宣言は一団体が発表した声明であり、組織の活動目標という性格のもので、もちろん法的な拘束力はない。日本政府はその後も死刑制度を堅持する姿勢を崩しておらず、翌11月には金田勝年法相の命令のもと、強盗殺人罪で1人に対する死刑が執行された。

しかし、国内全ての弁護士が所属する日弁連が、死刑制度の廃止を初めて明確に打ち出したこの宣言の反響は大きかった。冤罪問題を憂慮する立場からこれに賛同する者、犯罪被害者や遺族たちの厳罰感情に配慮して反対する声などが交錯し、一部では「舌禍事件」も取り沙汰されて、様々な波紋を呼んだ(瀬戸内寂聴「寂聴 残された日々」『朝日新聞』16年10月14日付)。

宗教界では、死刑制度に教団レベルで公式に反対を表明しているのは、真宗大谷派や大本、カトリック(正義と平和協議会)など、必ずしも多くないのが現状だ。一方、03年に超宗派で結成された「『死刑を止めよう』宗教者ネットワーク」をはじめ、死刑制度の廃止を訴えている個々の宗教者や関係団体は、決して少なくない。

日本近代史や仏教史についていくつか論考を物してきた一人として、私もこうした宗教界の動向に強い関心を寄せてきた。また、死刑制度に賛成か反対かの意見そのものはもちろん、その意見が一体どのような立場や論理に支えられているのかということにも、注目してきた。

例えば、死刑が必要なのは犯罪抑止のためなのか、それとも応報主義の考えによるのか。あるいは死刑が廃止されるべきなのは、生命は誰しもかけがえがないからか、それとも今や死刑廃止国が多数派である世界の趨勢を省みてのことなのか。

私としては、今日様々に議論されている死刑制度の問題は、実はもう少し問題を広くとって、人間における「悪」の問題というべき根源的な次元から、考察される必要があると考えている。つまり重要なのは、この社会に確かに存在し、あるいは私たち自身もそうかもしれない「悪」の問題と、私たちはどのように向き合うことができるのか、という問いなのである。

ある監獄教誨師の経験――藤岡了空

この問題を考えるためのひとつの手がかりとして、ここでは明治期に活躍した真宗大谷派の藤岡了空(1847?~1924)という監獄教誨師の経験に、注目してみよう。

教誨師とは、刑事施設の被収容者に対して、過ちを悔い改めるよう求め、彼らの徳性を養う道を説く宗教者のことである。現在は全国で1864人の宗教家がボランティアで務めているが、戦前は国家公務員として、全ての監獄に教誨師を配置することが義務づけられていた。

ここで見たい藤岡了空は、監獄教誨が近代日本で制度として確立した草創期の明治20年代、教誨師のトップランナーとして活躍した人物である。その藤岡の経験には、人間の「悪」と正面から向き合うことの重要性と困難さとが、原初的なかたちで表現されているように思われる。

東京の石川島監獄所や滋賀県の膳所監獄などで教誨師を務めた藤岡は、明治20年代に先駆的に監獄教誨に身を投じ、前半生を監獄教誨に捧げた。同僚の僧侶たちに会うと、藤岡は決まって監獄や犯罪の話題を持ち出したため、周囲から「監獄狂」という綽名で呼ばれた。生まじめな藤岡は、教誨師としての職務に没頭し、「一分の時間も私交の為めに徒費する閑はありませぬ」と、ほとんど全生活を教誨に捧げていた。

しかし、監獄教誨の使命に燃える藤岡の情熱とは裏腹に、囚徒たちを前にした実際の教誨は、試行錯誤の連続だったようである。現場の様子を藤岡は具体的に書き残していないが、「其教誨の効を著しく奏せんことは甚だ以て難」しいと痛感し、「疑問又疑問を重ねて遂に胸中暗夜の如き心持」がしたと語っている。特に藤岡が訴えているのは、「懲戒」と「教誨」、つまり寛厳のバランスをとることの難しさであった。

そこで藤岡は、監獄教誨の困難を打開して理想的な教誨を実現すべく、『監獄差入本』(1889年)と『監獄教誨学提要草案』(1892年)の2書を、1年間という驚くべき短期間で書き上げた。前者は囚徒に直接語りかける体裁の冊子で、獄中での看読用に編まれた。「獄則謹守の事」など、囚徒が守るべき規則や心得を、具体的に語りながら解説した内容である。後者は、獄事関係者向けの著作で、現場で役立つ実践的な教誨の方法を盛り込みながら、「監獄教誨学」の試案として提出された藤岡の主著であった。

だが、これらの著作を掲げて藤岡が訴えた方策は、大谷派本山には採用されなかった。さらに激務後の睡眠時間を削りながら2書を書き続けた代償として、藤岡は神経衰弱を病み、やがて結核に罹患した。教誨師の職も退かざるをえず、理想的な教誨制度を作り上げようとしてきた藤岡の奮闘は、ここに挫折を余儀なくされたのである。

その後約30年に及んだ療養生活では、打って変わって、藤岡は心静かで平穏な生活を心がけるようになった。晩年の藤岡は軽妙で文明・社会風刺も含んだ多くの漫画を描き、気ままな境遇を楽しむといった生活を送った。このように藤岡の生涯は、病気による挫折を間にはさんで、前半生と後半生の鮮やかな対照が特徴的なのである。

ここでは、監獄での教誨に挫折した晩年の藤岡が、「人生中最も必要なるものは自ら治むると云うこと」と断言していることに、注目しておきたい。犯罪者や囚徒など、「他者」をいかに治めるかということは、全く問題とされていないのである。

この言葉には、まずはみずからを治め、みずからを省みることが人生で最も大切であるという藤岡の信念が、実感に裏打ちされたかたちで簡明に語られている。誰よりも情熱的に監獄教誨を開拓してきた教誨師が、困難を力業で乗り越えようとして挫折した結果、最後は自己を治める道へと至ったことの意味は、大きいと考える。

社会矛盾を深層から見つめる

私はこれまで、現役で活動している仏教教誨師の方々と会い、直接お話を伺う機会に何度か恵まれた。彼らは一様に慎み深い性格で、あまり多くは語られない方ばかりであった。また、被収容者たちと正面から向き合う宗教教誨には、やりがいとともに、様々な困難やジレンマもあるようで、それを心の奥底に澱のように抱えているように見えた。堀川惠子氏が『教誨師』(講談社、2014年)で克明に描き出したあの渡邉普相師の深刻な懊悩と、それはどこかで通底しているようでもあった。

人は「悪」を裁くことができるのか。人は誰かを思うように変える(矯正する)ことができるのか。死刑には反対だが、制度として死刑が現に存在する以上、死刑囚に最期まで寄り添う自分のような存在が必要ではないか――。

こうした教誨師たちのジレンマには、様々な表現や個人差があるとはいえ、いずれも私たちの社会が抱える根深い問題の一端が、凝縮されたかたちで表現されているともいえるのではないか。そしてそのジレンマは、少なくとも条件反射的に「凶悪犯には厳罰を!」と勇ましく叫びたてるだけで、埋め合わせることができるほど単純なものでないことは、確かであろう。

近代仏教の歴史を振りかえれば、清沢満之や近角常観をはじめ、人間の実存や宗教性を根源的に問い直そうとした仏教者のほとんどが、人間の「悪」の問題を正面から見つめ、生涯をかけて探究した。それはおそらく、キリスト教など他の宗教派でも同様であろう。

今日の犯罪更生や死刑問題も、彼らが原理的に探究した「悪」の問題に一度立ち返ってみることで、また別のアプローチから議論を提起してみることも可能ではないだろうか。自己と他者が同じ「悪人」であることを説いた清沢・近角そして晩年の藤岡たちの眼に、今日の死刑存廃論議は、どのように映るのだろうか。

裁判員制度が始まって8年、そして50%近い再犯率が深刻な社会問題として叫ばれる今日。ヒューマニズムの視座だけからではなく、人間学的な深みから犯罪や死刑制度を鋭く問題化し、発言していく固有の役割が、宗教者や宗教史研究者には求められているのではないだろうか。近代以降の仏教者や教誨師たちが、単純には割り切れない人間の「悪」の問題と格闘してきた歴史を知ればこそ、私は、正義の立場から「悪」を他人ごとのように切り捨てる死刑制度には、反対である。