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「近代仏教」と「仏教天文学」再考 ― 近代日本の宗教≪12≫

天理大教授 岡田正彦氏

2017年7月28日付 中外日報(論)

おかだ・まさひこ氏=1962年、北海道生まれ。天理大卒。大正大大学院博士課程中退(宗教学)。アリゾナ州立大大学院修士課程修了(宗教学)。スタンフォード大大学院博士課程修了(Ph.D取得・宗教学)。天理大専任講師、助教授・准教授を経て、2009年から同大人間学部教授。
円通が梵暦体系化
 近代仏教研究と仏教天文学

長期の米国留学から帰国し、現在の大学に奉職してすぐに『中外日報』から依頼されて、「『近代仏教』と『仏教天文学』」と題する論考を執筆したのは2000年のことである。その後、02年にも「須弥山の行方と近代仏教」という論考を掲載していただいた。

どちらにも「近代仏教」という言葉が入っているのは、江戸時代の仏教僧・普門円通(1754~1834)にはじまる「梵暦運動」の歴史を詳細に検討することによって、日本の「近代」さらには、近代の宗教・仏教思想についてより深く考えたい、という意図があったからである。

宝暦年間に生まれ、幼くして出家した円通は、15歳の時に当時西洋天文学の紹介書として広く普及していた『天径或問』を読み、仏典に説かれる平らな宇宙像に疑問を持つようになる。西洋の天文学に見られる地球説は、仏教思想の背景にある円盤状の宇宙像とは対照的であったからである。この疑問を解消するために、彼は各地を渡り歩いて仏典中の天文・暦法を学ぶばかりでなく、土御門家に入門して古今東西の天文・暦学を広く学んだ。

これらの研究を大成して、須弥山を中心とする宇宙像を前提にした仏教天文学の理論を体系化し、文化7(1810)年に主著である『仏国暦象編』(全5巻)を刊行すると、円通を「梵暦開祖」とする人々は「梵暦社」と称するネットワークをつくり、各地で活発な活動を行った。彼らの活動を「梵暦運動」と呼んだのは、昭和初期にこの思想運動を研究した工藤康海という人である。

工藤によれば、円通の門弟はその生前に千人を超えていたとされ、その活動の規模と広がりは、江戸時代後期から明治期にかけての仏教系の思想運動としては特筆すべきものである。

続々見つかる史料
 梵暦研究の深化と梵暦運動の規模

とはいえ、本紙に論文を掲載した当時は、「千人を超えていた」と言われるこの思想運動の活動規模を実証する根拠は乏しかった。しかし、近年では安政年間の仏暦印施や河内国光念寺聖意の活動を中心に梵暦社中の活動実態を調査した、井上智勝氏の論文や平岡隆二氏による『仏国暦象編』の版本調査など、梵暦運動の実態を把握する研究が広く行われている。

また、筆者自身も梵暦社中の活動拠点となっていた各地の寺院の調査を継続し、頒布された仏暦や講義の筆録、「梵暦開祖」として円通を称える頌徳碑や書写された暦本類といった、多彩な梵暦関係資料の整理を進めており、その成果をいくつかの論文にまとめて刊行した。

さらには、全国各地の大学図書館などに所蔵されている梵暦関係文献の調査を進め、現存する刊本や書写本の種類と量の膨大さに圧倒されるとともに、この運動の広がりの規模をこの方面からも実証できる手応えを得ている。梵暦関係文献を積極的にデジタル公開する図書館も増えてきた。

この他、龍井郷二氏が出身寺院である順覚寺に所蔵されていた梵暦関係の古文書を翻刻した史料、本康宏史氏が紹介している誓入寺の倉谷哲僧の事例など、梵暦社中の活動を紹介する史料は続々と発掘されている。紀州の正立寺を中心にした中谷桑南の活動、肥後・善正寺の禿安慧の活動、さらには明治期の梵暦運動をけん引した佐田介石の出版・講演・政治活動などについては、さまざまな角度から研究され、谷川穣氏、梅林誠爾氏、鍋島直樹氏らの論考が発表されている。

また、宮島一彦氏を中心とする「仏教天文学研究会」の方々によって、円通の主著である『仏国暦象編』は注釈付きで現代語訳されている。

占星術や天気予報
 仏教科学から近代仏教へ

1980年代から続けてきた梵暦研究の成果をまとめて、2010年に拙著『忘れられた仏教天文学―十九世紀の日本における仏教世界像』(ブイツーソリューション)を刊行し、少し梵暦研究から離れるつもりであったが、むしろ各方面から多くの情報が寄せられるようになり、全国各地に現存している須弥山儀(須弥山説を基盤として制作された、精密な天体運行時計)の調査結果や東芝の創業者として知られる田中久重の著名な和時計の連作と梵暦運動の関係などについて、新たな論文を3本ほど発表することになった。

地球や太陽系の概念を否定して、円盤状の須弥山世界の実在を主張するというアナクロニズムにもかかわらず、円通の『仏国暦象編』は決して無知の産物ではないということは、実際にこの書を読み、円通の広い学識と議論の緻密さに触れれば誰でも分かるはずである。

それと同様に、須弥山説にもとづく須弥山儀は、当時の日本(あるいは世界)のトップクラスの技術によって製造されているのであり、こちらも時代錯誤の産物として一笑に付すことはできない。とくに田中久重の須弥山儀については、現在時計技術の専門家の方々にも意見を伺いながら、より詳しい調査を継続中である。

また、円通門下の人々は多彩な仏暦を頒布し、天文学的な知識を一般に広げる活動も行った。梵暦社中の人々によって運営された各地の私塾や破邪学の一環として設けられた仏教各派の天文学講義の実態についても、かなり明らかになってきている。さらには、円通門下の人々は売薬(梵医法)や頒暦、占星術ないし天候予報などの幅広い活動を行っており、天文学の枠組みを超えた彼らの活動の実態は、近世・近代における地域社会と仏教の関係を考えるうえでも極めて興味深い。

梵暦道、宿曜道、梵医道に大別される各地の梵暦社中の活動については、現時点での調査結果を昨年論文にまとめたが、全国各地に広がる彼らの活動の足跡を網羅するには、まだしばらく時間がかかりそうである。ただ、未調査の寺院を訪れるたびに、これまで知らなかった史跡や天体観測用具、未確認の史料などが発見される状態であり、全国各地を訪れて梵暦運動の痕跡をたどる調査は、どうやら筆者のライフワークになりそうである。

また、かつて西村玲氏に指摘していただいた、円通と安楽律僧との関係や増上寺の塔頭を与えられていた円通の晩年についても、かなり多くの事実が分かってきた。確実な史料はないが、工藤康海は早くから円通と慈雲の師弟関係に言及しているし、円通は当時の著名な戒律僧の一人である豪潮から受戒している。晩年には『仏説孝子経註』といった著作や宗密の「原人論」の注釈書などを刊行し、これらはかなり広く読まれていた痕跡があるなど、少なくとも戒律復興運動と円通の関係は無視することはできないだろう。

「梵暦」という発想自体が、近代仏教の通仏教的な言説のルーツともいうべき戒律復興運動や慈雲の梵字研究と直接つながっているのであれば、一時はかなりの範囲に広がった梵暦運動は、明治以後の近代仏教思想とも直接・間接に関わっているはずである。

今後は、このユニークな思想運動のさらなる実態解明を進めるとともに、近代的な自然観の我々の精神生活への影響について、他界観を含むより広い宗教思想と関連づけながら考察していきたい。