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仏の消えた浄土 ― 近代日本の宗教≪15≫

東北大教授 佐藤弘夫氏

2017年9月27日付 中外日報(論)

さとう・ひろお氏=1953年生まれ。東北大大学院博士前期課程修了。博士(文学)。専門は日本思想史。現在、東北大教授。著書に『死者のゆくえ』『ヒトガミ信仰の系譜』『鎌倉仏教』『死者の花嫁』など。
歓談する死者たち

岩手県の遠野地方ではかつて、故人となった先祖たちが生前と同じ姿でくつろいでいる様子を描いて寺に奉納する、「供養絵額」という風習が行われていた。

故人の死後の様子を描いて寺堂に納める習慣は、遠野地方だけでなく、東北一円に広く見られるものだった。山形県の村山地方では、若くして亡くなった男女の架空の婚礼姿を寺に納める「ムカサリ絵馬」という習俗が、いまも続いている。青森県の金木町にある川倉地蔵尊では、夭折した若人の供養のために花婿・花嫁人形が奉納されている。

これらの死者供養に共通する特色は、故人の冥福を祈って寺院に奉納されたものでありながらも、死後世界に仏教的な要素がほとんど見られないことである。死者たちは蓮の花咲く浄土で仏に見守られながら最終的な解脱を目指すのではない。この世の延長線上の世界で、結婚式などの世俗的な喜びに身を浸しながら、衣食住に満ち足りた永遠の幸福を満喫しているのである。

これらは江戸時代まではなかった風習だった。紛れもなく近代仏教の一つのあり方を示している。なぜ近代に入って、こうした新たなタイプの死者供養の儀礼が始まり、地域に定着していくのであろうか。

記憶を求める死者の誕生

死者はこの世に存在しない人物である。にもかかわらず、なぜ私たちは死者の姿を描き、その死後の生活を繰り返し想起するのだろうか。

実は、日本列島において、通常の忘却の過程に逆らってまでも死者を記憶に止めようとするようになるのは、それほど古い昔のことではなかった。14世紀から16世紀あたりの時代を移行期として、日本列島では死者と死の世界に対する観念が大きく変容した。死者がこの世にいてはならない時代から、いつまでも身近に留まって生者と交流を続ける時代への転換である。

この転換以前の中世とよばれる社会では、人々を浄土へと迎え取る絶対的な救済者に対する深い信頼が維持されていた。異次元に実在すると信じられていた理想世界(浄土)のイメージも、生々しいリアリティーをもって社会に共有されていた。ひとたび仏の手に委ねられた死者は、もはや人間があれこれ死後の命運を気にする必要がなかった。

それに対して、世界観の転換を経た近世社会では、死者はもはや遠い世界に旅立つことはなかった。この世に留まる死者は、救済者の力によって成仏するのではない。縁者による長期間のケアを通じて、子孫を見守ってくれるご先祖様へと少しずつ上昇していくのである。

そのため、先祖への変身の過程で、死者が忘却されたり、その供養が中断されたりすることがあってはならなかった。日本列島では江戸時代に入ったころから、故人の戒名を刻んだ墓標や周忌供養が社会に定着していく。それは死者を記憶に留めることの重要性が、社会に認知されていく過程と裏腹の現象だった。

死者をケアする主体が救済者(仏)から人間へと移行するにつれて、死後世界の世俗化は急速に進行した。死者の安寧のイメージが、生者の願望に引きつけて解釈されるようになった。

江戸時代にはまだ、死者は仏がいて蓮の花咲く浄土に行くというイメージが共有されていた。しかし、近代では死後世界から仏の姿が消えてしまう。死者は美しい婚礼衣装を身にまとい、現世では実現できなかった豊かな生活を満喫するようになる。供養絵額やムカサリ絵馬は、こうした死後世界の変容の果てに生まれた習俗だったのである。

コスモロジーというバイアス

私たちは「仏教」というと、その本質は時代を超えて変わらないというイメージをもちがちである。しかし、たとえ仏式で葬儀を行ったとしても、大方の近代人にとって死後世界はこの世の延長にほかならなかった。人を瞬時に往生や成仏に導く救済者の姿は、どこにも見当たらないのである。

こうした世界観のギャップは、私たちが過去の思想を見ていく際に、無意識のバイアスとなっているように思われる。一例として、近代における日蓮の『立正安国論』解釈を取り上げてみたい。日蓮はその中で、同時代に頻発する災害の原因を、諸仏諸教を否定する法然の専修念仏が流布したために、国土守護の善神が日本を捨て去った(「善神捨国」)ことによると主張する。それゆえ、法然の念仏を禁止して伝統仏教を復興させれば(立正)国土はおのずから安穏となり、人々の平和な生活が実現する(安国)と説くのである。

これに関連して、『立正安国論』の末尾には、「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。しかれば即ち三界は皆仏国なり」という言葉が置かれている。これは一見すると、先の主張を別な表現で言い換えただけのように見える。だが、両者はまったく異質な論理だった。

前者における「安国」は、主役の仏ではなく、脇役の守護神が主役を務める世俗的なレベルでの国土安穏だった。その「安国」は災害の停止であり、どこまで行っても「仏国」に到達することはなかった。それに対し後者は、「実乗の一善」=『法華経』による成仏を前提としたものであり、永遠に崩れることのない仏国土の顕現という、すぐれて宗教的な意味を含有するものだったのである。

二つの立正安国の論理

日蓮の「立正安国」の論理は、次元を異にする二つの論理によって構成されていた。日蓮はまず伝統仏教を衰退させる専修念仏を禁止することによって目前の災禍を止め、人々が仏法の修行に専念できるような客観的状況を実現することを目指した。その上で、至高の法である『法華経』を個々人が実践することによって、究極の真理の世界=仏国土の成就を目指したのである。

『立正安国論』は、本来その中に濃厚な「悟り」の世界を抱え込んでいた。それを担保していたのが、濃厚な神秘性に彩られた中世的な世界観だった。しかし、浄土の顕現による「安国」の論理は、人々が世界の根源にある超越的存在のリアリティーを忘却し、死後世界から仏が姿を消す近代社会ではほとんど顧みられることがなかった。そのため、この著作はもっぱら国家護持を目指す政治運動の指南書として注目を集めることになるのである。

世俗的レベルにおける社会改造の論理としての『安国論』受容は、この書に関して、もう一つの本来とは異なったイメージを植え付ける原因になった。『安国論』は、もともと諸仏諸教を否定する法然の専修念仏の排他性を批判する書であった。まずは伝統仏教全体を復興させた上で、論議を通じてもっとも優れた教えを選択すべき、というのがその主張だった。しかし、近代においては、公権力の介入による日蓮の宗教の特権的地位の確保と諸宗の排除の要求という、本来とはまったく逆のイメージが定着していくのである。

かくして近代においては、『立正安国論』の根底にあった個々人の主体的な信仰実践と成仏の問題がしだいに視野から消失し、「安国」はもっぱら世俗的なレベルでの国民国家の安穏として把握された。そのため、「立正」を主導する権力者の役割が一方的にクローズアップされ、天皇の認可(勅許)や国立戒壇に関する議論が突出した。日蓮主義の運動は、ますますその政治的な側面を際立たせることになった。かくして、『立正安国論』が本来もっていた国境や民族を超越する普遍的側面は忘却され、過激なナショナリズムの書というイメージだけが独り歩きしていくことになるのである。

一見無関係に見える供養絵額と日蓮主義の運動はともに、人々が根源的な救済主としての仏と、その仏と同調しての成仏や仏国土成就の理想を共有できなくなった、近代という時代を土壌として生み出されたものだったのである。