ニュース画像
新たに整備された合同墓(左)、インフォメーションセンター(右)をバックに進む庭儀の列
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

アメリカでの日本仏教の影響と貢献

武蔵野大教授 ケネス田中氏

2017年10月25日付 中外日報(論)

けねす・たなか氏=1947年、山口県生まれ。米国のシリコンバレー育ち。米国籍。スタンフォード大(学士)。東京大(インド哲学・修士)。カリフォルニア大(仏教学・哲学博士)。98年、武蔵野大教授就任。現在、国際真宗学会会長、日本仏教心理学会会長。第27回中村元東方学術賞受賞。著書に『アメリカ仏教』(武蔵野大学出版会)など。
アメリカ社会の一面

アメリカの仏教徒の数は、この40年間で17倍も増え、全米人口の約1%に当たる320万人となっている。彼らに加え、仏教徒とは明言しないが仏教的行動をとる仏教共感者や、調査で「宗教に関して仏教に強く影響された」と答えた人々を含めれば、全米人口の10%(約3千万人)という驚く数が仏教に深く関わっていることになる。

このすさまじい伸びの現状と原因について、筆者は既に詳しく報告(略歴所載の著書参照)しているので、本稿では仏教が「死」に対する新鮮な考えを提供しているという点に焦点を当てることにしたい。

現代アメリカは、若さや健康を極端に崇拝する社会・文化の象徴だと言える。その反面、「老いる」ことがよくジョークや揶揄いのネタとなったり、「死」がタブー視されたりしてきたのである。このような状況において、「生老病死」の教えを掲げる仏教が、アメリカ社会が影と見てきた「死」に、光を照らす役割を果たした三つの具体例を見ていくことにする。

アップル社創業者の発言

「やがて我々は皆『死ぬのだ』ということを念頭に置くことが、私の人生の重要な決断をする際に、最も重要な手立てとなった」

これは、スティーブ・ジョブズの有名な2005年スタンフォード大卒業式でのスピーチの一部である。この、若い世代の卒業生に向けた発言で、我々は皆死ぬのだという自覚が、人生の決断を有効にし、死を念頭に置くことで、人の目を気にせず、失敗するのではないかという余計な心配をせずに済み、自分が本当にやりたいことを選び、納得できる有意義な人生を送れるのだ――とジョブズは訴えた。

一般のアメリカ人はこのような考え方は持たない。まして、卒業式で、これから社会に出て行こうとしている若者に対して「死」という話題はなおさら口にしない。ジョブズにそうさせたのは、仏教的な考え方の影響である、と私は考える。もちろん、死を話題としたことは、ジョブズが既にがんを患っていたこともあるだろうが、そのことを「生きるバネ」に転換し、若者を励ます原動力として提供したのは、彼の人生観の根底に仏教的な死生観があったからだと思う。

ジョブズは、1970年代半ばにサンフランシスコ禅センター所属の道場に通いながら坐禅に励んだ。そして、禅センターの鈴木俊隆老師の『禅マインド ビギナーズ・マインド』は彼の人生に最も影響を与えた本の一つである。

またジョブズは、禅センターの乙川弘文老師を「スピリチュアル顧問」として長く交流を続け、結婚式の司会まで務めてもらった。ジョブズは、仏教のみに専念する正式な仏教徒ではなかったとしても、禅センターの恩師たちの教えの強い影響を受け、一時は日本に渡り永平寺で修行することまで真剣に考えた仏教共感者であった。

日系仏教徒の兵士の手紙

アメリカ仏教を語る際、スティーブ・ジョブズのような著名な仏教共感者や、映画俳優リチャード・ギアという仏教改宗者に注目が集まることが多い。その一方、日系やアジア系仏教徒の貢献度が軽視されてきたのは事実であり、これは是正されるべきだと私は思っている。その観点から次に例として挙げる、第2次世界大戦の際に、死を覚悟し戦場に向かった日系仏教徒兵士の感動的な手紙は大変貴重なものである。

日系人の収容所は西部諸州にまたがった荒野に大急ぎで作られたものであり、針金フェンスと武器を持った監視に囲まれた場所だった。約60%の収容者は仏教徒であった。閉じ込められてはいたものの、彼らは自分たちの仏教を守り続けたのである。それどころか仏教が不可欠な支えとなった。日曜朝の法要には多くの人が参加し、「裏切られた」という思いや生活の不安に対処するために、仏教が非常に重要な役割を果たしたのである。

このような目にあっても、アメリカ人である2世の若者たちは、収容所から軍隊へ志願し、自分の国アメリカのために戦った。そして、ヨーロッパと太平洋戦域で勇敢な兵士としての戦果を挙げた。その中で、ある兵士は海外に出かける前、親への愛情と「仏さん」への信仰を英語と方言が混じった日本語の手紙に伝えている。

「ママ パパ ミー(私)よ ホラミーよ
 今夜いよいよ オーバーシー(海外)へ行くよ。長いこと可愛がってもらって ミー サンキューいうよ。ママもパパも心配せんでもいいよ。すぐ帰ってくるでな。帰ってきたら、すぐパパやママの所へ飛んで行くよ。……

ママ パパ まだあるよ。忘れてたよ。ほらあの話な。ミーが小さい時からいつもママがミーに話してくれたあの話よ。仏さんの話よ。あの話ちゃんと覚えとるから安心してよ。オーバーシーへ行っても仏さんはミーについてくるんだったなあ。ミーさみしくないよ。仏さんがミーを守っていてくれるんだものなあ。

あの話、覚えとるからママもパパも心配せんでもいいよ。では行ってくるよ。ママもパパも大事にしなさいよ。グッバイ」

何と心を揺さぶる手紙であろう! この手紙は、英語が母国語である青年にも仏教が心の不安の支えとなっていたことを語る。

ちなみに、この兵士の手紙とも関係するが、日本仏教の貢献として一つの例を挙げておきたい。それは、浄土真宗本願寺派の米国仏教団(Buddhist Churches of America)が成し遂げたことである。1987年、この教団が主催する大学院大学を通じて、教誨師資格の授与が、「軍隊の仏教チャプレン」として初めてアメリカ政府に認められた。当時、このことは一般メディアによって大きく取り上げられた。この例が示すように、133年の歴史を持つアメリカの日本仏教は、仏教全体を代表し、社会の影に対応する教誨師制度などに関して、指導的な役目を果たしてきたのである。

死が主題となった『葉っぱのフレディ』

日本でもおなじみのレオ・バスカーリア教授の『葉っぱのフレディ』という短い絵本は、アメリカで大ヒットし、何百万冊も売れた。日本語訳も脚光を浴び、学校で読んだという日本人も少なくない。このシンプルな子供向けのような絵本が成功した理由に、死というテーマを真正面から扱ったことが挙げられる。

死は、アメリカでは、タブー視される傾向があるということは既に述べた。何故なら、仏教の「生死」という教えが示すような「死とは生まれるということと一体であり自然なことである」という考えとは異なり、「非自然的である」という考え方が主流だからである。このような背景がありながらも、葉っぱを擬人化して分かりやすく、受け入れやすく死を語ったことに、子供たちも興味を持ったが、それ以上に多くの大人が納得し感銘を受けたのである。

実は、この本には「仏教」という言葉すら出てこないが、私は、最初読んだ時から内容が非常に仏教的であると感じていた。そこで、著者のバックグラウンドを調べたところ、育ちはカトリックであったが、大人になって一時日本の禅宗のお寺に在住し、仏教に強く影響されたということが判明したのである。その時私は、著者のバスカーリア教授に仏教の影響が実際にあったことを知って、納得することができた。そこで、同書の仏教的な考えと思われる一部を紹介しよう。

「『ぼく、死ぬのがこわいよ。』とフレディが言いました。

『そのとおりだね。』とダニエル(友だち)が答えました。『まだ体験したことがないことは、こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化し続けているんだ。変化しないものは、ひとつもないんだよ。春が来て、夏になり、秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。』……

『死ぬというのも、変わることの一つなのだよ。』変化するって自然なことだと聞いて、フレディはすこし安心しました。」(『葉っぱのフレディ―いのちの旅』みらいなな訳)

このように、ダニエルの説明は仏教で説く「諸行無常」に等しい。そして、全てが変化するが、変化というものは自然なことであると、さらに教えを深める。ダニエルは、自分の死を受け入れさせ、死に対するフレディの苦悩を和らげた。このような考え方は、著者が仏教に影響されて、より鮮明になったものだと思われる。

おわりに

若さ・楽しさ・進歩・自由などを掲げるアメリカ社会でさえも、人間社会である限り「影」が潜んでいることは当然である。しかし、アメリカ社会では、老い・死・苦悩・失敗・格差などの影に面と向き合い、それに対応する論理や思想が比較的弱かった。そこに到来した仏教は、特に死という影に光を照らし、死への不安や恐怖が転換され、バネとなることを主張してきた。これこそ、あまり知られざるアメリカ社会における日本仏教の貢献の一例なのである。