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東寺国宝御影堂の修理と弘法大師信仰

東寺文化財保護課長 新見康子氏

2017年12月1日付 中外日報(論)

にいみ・やすこ氏=1968年、広島県生まれ。立命館大文学部卒。現在、東寺文化財保護課長、同志社大嘱託講師、立命館大と京都産業大の非常勤講師。博士(文学)。専門は日本中世史。著書に『東寺宝物の成立過程の研究』など。

東寺では、2023年の立教開宗壱千二百年慶讃大法会にむけて、2010年度より境内の史跡整備事業を行っている。さらに、15年度には御影堂(国宝)の屋根葺き替え工事に着手した。現在は、素屋根をかけ、修理工事が進められている。この御影堂の修理工事の開始にあたり、その修理の歴史と弘法大師信仰について述べておきたいと思う。

御影堂の歴史

東寺境内西側には、築地塀で囲まれた西院という区画がある。御影堂は、その中心にある檜皮葺きの美しい寝殿造りの建物である。弘法大師空海の住坊といわれる雰囲気を今に伝えている。鎌倉時代、大仏師運慶の子康勝によって弘法大師坐像(国宝)がつくられ、1240(延応2)年3月21日、秘仏の不動明王坐像(国宝)の背面に移されて、御影供が行われた。

これが毎月21日の「弘法さん」の始まりである。この御影供の開始にあたっては、後白河法皇の第六皇女宣陽門院覲子内親王による、仏像や『宋版一切経』などの経典類、経済的な援助として庄園の寄進があった。以後、南北朝時代にかけて、東寺の法会は充実し、寺僧組織も廿一口方や鎮守八幡宮方、学衆方などが形成されて発展した。こうして、中世の東寺は、御影堂を中心とした宗教活動によって興隆していくのである。

御影堂は、その長い歴史の中でただ一度火災に遭っている。1379(康暦元)年、西僧坊に泊まっていた客僧の火の不始末によって出火し、御影堂をはじめ僧坊・小子房など、西院の多くの建物が焼失した。火事に際しては、寺僧らが走り集まって必死の救出作業を行い、弘法大師坐像や秘仏の不動明王坐像をはじめ、堂内の本尊類・仏具類・古文書・経典類などのほとんどを持ち出した。

翌80(康暦2)年に御影堂(後堂)が再建され、90(明徳元)年に北面(前堂・中門)を増築した。これが現在の御影堂である。

御影堂の屋根は檜皮葺きであるため、30~50年おきに何度も葺き替えを行わなければならない。戦後は、1955年に解体修理工事を行い、79年と83年に屋根の葺き替え工事を行っている。近年は雨漏りなどがみられ、床板や蔀戸などの建具類に傷みが目立つようになった。そこで、2015~19年度まで、総事業費約4億円(予定)をかけて、国庫補助事業として屋根の葺き替えなどの修理工事を行うこととなった。

棟札がかたる修理

御影堂の小屋裏には、江戸時代の棟札が多く残されている。これらの棟札の年号をみると、「寛永13(1636)年、寛文12(1672)年、享保17(1732)年、明和9(1772)年、明治16(1883)年、大正9(1920)年」となっている。

年代に注目すると、50年ごとに行われる弘法大師遠忌を節目として、御影堂の屋根の葺き替えや西院の大きな修理を行ってきたことがわかる。また、門徒勧進だけではなく、天皇・朝廷・江戸幕府などの庇護や、仁和寺・大覚寺・醍醐寺などの門跡寺院による援助があったことが記されている。特に1672(寛文12)年の修理では、御影堂の屋根葺き替えとともに、生身供をつくる御供所などを新たに建てて、西院全体の大規模な造営工事を行った。この修理によって、御影堂は現状のように堂内を改め、現在の西院の景観が形づくられたのである。

東寺は、弘法大師空海に下賜されて以来、真言宗の根本道場としての道を歩んできた。東寺の歴史書『東宝記』にある「伽藍興復すれば天下興復し、伽藍衰弊すれば天下衰弊す」ということばに示されるように、東寺は歴代の天皇や武家などの権力者による保護をうけながら、その伽藍を維持してきたのである。そして、御影堂では弘法大師遠忌の数年前から屋根の葺き替えや修理を行い、新しく再生した御影堂の北面において庭儀曼荼羅供などが盛大に行われた。

1897(明治30)年に制定された古社寺保存法によって、御影堂は国宝に指定され、国庫補助事業による文化財としての修理が行われてきた。文化財修理の考え方は、現状維持修理が基本である。単に傷んだ材を取り換えて補修するのではない。古い材でもいかせるものは使い残して、どうしても使えないものだけを取り換えるのである。このたびの修理では、屋根の葺き替えに加えて、木部や建具、錺金具の補修などを行う予定である。修理に伴う新たな調査成果が期待される。

弘法大師像の遷座

御影堂の修理工事が進むと、檜皮や木材の取り外し作業により、堂内には大量のホコリや煤などが舞い上がるようになる。そこで、文化財修理を進めながら、一方で毎日の生身供や毎月の御影供などの年中行事を滞りなく行い、参拝者の安全をはかるため、弘法大師坐像を西院内の御影堂北にある大日堂(2000年再建)に遷座することとなった。

遷座の準備作業として、昨年4月より像を保護する仮厨子を制作して、大日堂内の東側に安置した。7月下旬、京都府・京都市の担当者立ち会いのもと、美術院国宝修理所の方々の協力によって、弘法大師坐像の御身拭いと遷座を行い、東寺一山の僧侶による開眼法要を行った。御影堂の内陣には、鎌倉時代に宣陽門院覲子内親王が寄進した釈迦如来立像・弥勒菩薩立像や、室町時代の愛染明王坐像が安置されていた。これらの仏像は、宝物館に移動して、昨年の秋の宝物館特別展とあわせて公開した。

一方、6月からは、大日堂の西側に仮設の御影堂(仮御影堂)を建設し、宝物館から仮御影堂へ、江戸時代の弘法大師坐像の安置を行った。この像は、御影堂の弘法大師坐像を写して彫ったほぼ同じ寸法の像である。修理工事中の祈願は、この像を本尊として、仮御影堂で行い、廻向はこれまで通り大日堂において行うこととなった。そして、内陣の本尊類・仏具類の移動を終えて、北面の大壇や天蓋、燈籠などの仏具類を移動し、南面の護摩壇を解体・搬出した。

こうして、昨年8月下旬までに弘法大師坐像の遷座と、本尊類・仏具類の移動は完了し、修理工事の事前準備は整った。

文化財修理と信仰と

御影堂の修理を行うにあたり、喫緊の問題は、文化財修理と弘法大師信仰の両立である。特に修理現場となる御影堂は、弘法大師信仰の要ともいえる建物であり、鎌倉時代以来、何百年もの間、絶えることなく毎日の生身供や年中行事の多くが行われてきた。また、日々の祈願や廻向も行われ、毎月21日の「弘法さん」の日は、境内には千件以上の出店があり、数十万人もの人でにぎわっている。ゆえに、御影堂の修理と、年中行事を同時に滞りなく行うことは、非常に困難を伴う。文化財修理と信仰の総合的な視野からの判断が必要とされる。

祈りと誓いの風景

修理にあたっては、文化庁をはじめ行政担当の方には、東寺の信仰についてご理解いただくとともに、参拝者へもご配慮をいただいている。秘仏の不動明王坐像が祀られている御影堂の南面では、修理前とかわらぬ祈りをささげる参拝者の姿に、何百年と続く祈りと誓いの風景をみることができる。修理工事中は、多方面にご不便をおかけすることとなるが、ご理解とご協力をお願いしたいと思う。