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百五十回忌によせて新選組を振り返る

土方歳三資料館館長 土方愛氏

2017年12月8日付 中外日報(論)

ひじかた・めぐみ氏=土方歳三の兄・隼人喜六から数えて6代目の子孫。歳三の生家に生まれ育ち、現在は生家跡の「土方歳三資料館」館長。愛刀の兼定、鎖帷子や書状など、生家に伝わる史料の保存、公開、研究に携わる。明星大客員教授。上智大外国語学部イスパニア語学科卒業。
新選組の事績

1863(文久3)年2月、将軍家茂公警護のため募集された浪士隊は、上洛後も京にとどまり、会津公・松平京都守護職の下、新選組として市中警護を務め、動乱の京の治安維持に尽力しました。その後時勢利なく、鳥羽伏見の戦いを機に勃発した戊辰戦争を戦い、江戸に下り甲州勝沼での戦闘に敗れ、流山に陣した際に局長・近藤勇が囚われの身となりました。副長・土方歳三はさらに宇都宮、会津と転戦し、仙台より蝦夷へ向かい箱館戦争を戦いぬきました。69(明治2)年5月11日、敵の銃弾を受け歳三が戦死すると、1週間後に五稜郭は降伏、開城し箱館戦争は終結しました。

新選組はその誕生から最期まで、実に6年という短い期間の活動しかありません。維新後の明治の世の中では、彼らの歴史は歪められ、偏見により賊徒かのような眼差しをもって冷遇された時代もありました。しかし、明治改元から100年後の1968(昭和43)年頃から「歴史を両側からもう一度見直そう」という動きが全国各地で起こり、新選組や東軍の事績も再顕彰されました。現代では、「徳川幕府を守る」という自らの誠、義を胸に命を賭した新選組隊士の生き様に、多くの方々が共感し、敬意をもって語られることも多くなりました。

百五十回忌の節目に

本年は、1868(慶応4)年の戊辰戦争戦没者にとって百五十回忌の節目の年にあたります。去る3月18日、東京都日野市の高幡山明王院金剛寺にて「新選組隊士及関係者尊霊百五十回忌総供養祭」が営まれました。

この法要は、68年1月に鳥羽伏見の戦いで殿を務め亡くなった新選組六番隊長・井上源三郎生家ご子孫の井上様、4月に板橋にて無念の死を遂げた新選組局長・近藤勇生家ご子孫の宮川様両氏が中心となり発起されました。通常、自分の先祖の供養だけで精一杯の私たちです。しかし、「戊辰戦争で亡くなった全ての戦死者を敵味方なく、また戦火に巻き込まれた市井の方々も含めて供養したい」と奔走されました。最終的には、その志に賛同した新選組隊士及び関係者子孫12名が発起人となり、参列者を募ったところ、当初予定していた定員250名を大幅に超えて申し込みがありました。そこで急遽定員を430名まで増やし、それでも当日は、お堂に入りきれない人が出るほどで、百五十回忌という節目に相応しい盛大な総供養祭となりました。

大導師を川澄祐勝貫主が務められ、読経の際には、新選組隊士一人一人の戒名が唱えられました。

法要後は、新選組が仕えた会津藩主・松平容保公のご子孫・松平保久様による記念講演「会津藩と新選組」が行われました。会津藩、そしてそのお預かりとして支えた新選組について、「愚直」というキーワードを用いて、徳川幕府に殉じた両者を讃えておられました。

これまで、これほど多くの新選組隊士の子孫が一堂に集ったことはありません。また、今回の法要は敵味方なく供養するということで、西軍・西郷隆盛のご子孫、勝海舟のご子孫など多方面からの参列者がありました。

そのようなことからも、150年という時の流れにより、恨み悲しみなど負の感情が浄化され、改めてすべての御霊を慰め、歴史を振り返ろうという機運が高まっているのだと感じました。

高幡不動尊金剛寺

不動明王を祀り「お不動さま」と呼ばれ親しまれる金剛寺は土方家の菩提寺です。1827(文政10)年、歳三の祖父・土方源内義徳は、石巴の雅号で俳諧仲間と句額を奉納しており、土方家が代々菩提寺に親しんでいたことがうかがえます。

歳三も、母の実家が寺にほど近い旧家・久野家だったことも重なり、小さい頃からお不動様の境内で遊んで過ごしたと伝えられています。

新選組時代に京都から出された歳三自筆の手紙には、末尾に「尤も遠からず都において一戦もこれあるべき事に御座候、御席の節高幡山貴僧へよろしくご鶴声願い奉り候」と記されており、京においても、故郷で慣れ親しんだ菩提寺を気にかける様子が伝わります。

明治の世になると、新選組は賊徒扱いされたと聞きますが、菩提寺は義を貫いた者たちの雪冤に尽力して下さいました。74(明治7)年の明治政府による「朝敵となった人々の祭祀・慰霊を許す」という太政官布告を受け、金剛寺第29世賢雅和上や縁者たちが中心となり、76(明治9)年には近藤勇・土方歳三の両雄を顕彰する「殉節両雄之碑」が完成。篆書は旧会津藩主・松平容保公が、碑文は旧幕府軍御典医・松本良順が揮毫されました。

「義に殉じた二人の英雄の碑」という碑題からは、多摩のゆかりの者たちが持ち続けた誇りが伝わってくるようです。余談ですが、明治の時代を生きたこの地域の古老は、明治維新のことを徳川幕府の崩壊を意味する「瓦解」と呼び、「ご一新」という言葉は決して用いなかったと聞いています。

その後も、幕末九十年祭、土方歳三義豊百年祭など節目の折には法要が営まれてきました。

また1995(平成7)年には東京日野ロータリークラブにより土方歳三の銅像が建立されました。現在は、境内にこの殉節両雄之碑と歳三銅像が隣り合わせて立ち、奥殿には、土方歳三の書状をはじめとする幕末史料が展示され、大日堂には、土方歳三をはじめ、彼の曾祖父母の代からの土方家代々の位牌が供養されています。

近年は新選組隊士慰霊の大位牌、井上源三郎、近藤勇、沖田総司の位牌も供養され、毎年土方歳三の命日5月11日の頃には「新選組全隊士総供養」の法要が営まれています。新選組のふるさとと称される日野市を訪れる新選組ファンにとり、金剛寺は外すことのできないゆかりの史跡となっています。

歴史の顕彰と慰霊

「150年という時を経て、なお多くの子孫たちがその縁を保ち、集い、新選組のふるさとの地のゆかりの寺院で慰霊祭を営む」。現代の核家族社会の風潮から鑑みると、奇跡のような事実です。

今回の慰霊祭は、各隊士の遺族がそれぞれ代々祭祀を続け先祖を語り継いできたこと、そのことにより新選組に興味を抱き、新選組について語ってくださる方々が多く存在したことが結実した結果でしょう。

先人の御霊を慰霊することは、その歴史を顕彰するということと深く結びついています。新選組が風化しないためには、私たち子孫やゆかりの者が慰霊を続け、積極的に史料を公開することも大切だと考えています。

実際、土方家では、生家跡に「土方歳三資料館」を設けて、歳三ゆかりの遺品・史料を月2回公開するという活動を続けてまいりました。これまでの23年間にわたる開館を振り返ると、新たに隊士の子孫同士で縁がつながったり、多くの研究者が訪れて新たな史実が明らかになったり、またゲームや映画など創作物の新選組ファンの若い層が、本物の遺品に触れることで新たに新選組の史実に興味を抱くきっかけとなったり、うれしい出来事に接することも多々ありました。そして、こうした地道な活動が、歴史を風化させない一助となり、先人たちの足跡を顕彰し、慰霊することにつながるのではないかと考えています。

歴史をたどることのできる寺社

新選組の足跡は、寺社と深く関わっています。屯所や調練、戦の陣を構えるなどあらゆる場面で寺社が舞台となっています。また、新選組隊士や関わった人物が眠っているのも墓所のある寺社。

私たちが幕末の先人たちの足跡をたどることができるのは、寺社の存在のおかげだと言えるでしょう。参詣者を迎え入れてくれる寺社の慈悲に感謝しながら、礼儀をわきまえたお参りを心がけたいものです。

さらに今後はより多くの若い世代の方々が寺社を訪ね、歴史を知ることで、新選組の事績が次の節目となる二百回忌まで語り継がれていくことを願ってやみません。