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解放への祈り

真宗大谷派教師 兪渶子氏

2018年12月14日付 中外日報(論)

ゆ・よんじゃ氏=1949年、広島県生まれ。朝鮮民族学校卒。大谷大・教師修得コース2年間修了。2004年から沖縄在住。著書に『無窮花』など。

無宗教であることが誇りのように生きてきた私に、「宗教とは心の問題ではなく、生き方の問題です」と届いた言葉がある。言葉は偶然のように届いたけれど、それは国を求めて生きてきた日々の中に既に用意されたものだった。

目の前に一枚の写真がある。森に光が溢れている。光を背にして樹の幹に柔らかに手を掛けてじっと私を見ている少女が写っている。少女の名は金紘美、16歳。半世紀前の白黒の写真だ。

通っていた学校は、ルーツが朝鮮半島の子たちのために在日1世たちが建てたウリハッキョ(私たちの学校)。今も神戸市垂水区の高台に立っている。母が仕事を休んで来てくれた入学式の帰り道、野に咲くさつきの花のひと枝を折り、私に持たせてくれた。民族学校に通わせることができた喜びに満ちた笑顔を忘れられない。

民族学校は植民地時代を生き抜いた1世たちの矜持だった。

しかし、私たちは思春期の甘い絶望より深い民族の苦悩の中にあった。校舎の片隅に隠れ所を見つけては、友と二人して語り合った。「どんな事があってもこの空がある限り絶望しないで居ようね」と『アンネの日記』に同化してアンネの言葉を自分たちに言って聞かせた。友は朝鮮民主主義人民共和国という名の国に旅立ち、そして死んだ。私は根なし草のように漂い、なお国を求めていた。未来のために、ただそのために。3世の時代、私の子たちの時代には「自由と平等」が国に開かれますようにと。

しかし、先日「朝鮮高校生に無償化適用を! 民族教育を応援しよう」と呼び掛ける高校生たちに出会った。かつて私の通学路であった神戸市の三ノ宮駅周辺で署名運動をする高校生たち。深々とお辞儀して「ありがとうございます」と日本語で言う。署名用紙に名を書きながら、私たちの時代に解決しておかなければならない課題だった、と申し訳ない思いがした。街頭に立って訴えることなど考えられない時代であったにせよ。

目の前の高校生たちは4世の時代の若者だ。彼らの時代にまで続く差別とそれを訴えなければならない高校生たちに心が痛んだ。三ノ宮の雑踏に紛れて歩き出したら涙がこぼれた。しかし、振り返り考えたら高校生たちの声は、共生を願う希望の声だと思えた。

彼らの訴えは多くの日本人の良心に届き、大阪地裁は「差別は違法」の勝訴判決を出した。後に最高裁で敗訴したにせよ、声を上げ共感を生んだ行為こそが希望だ。「一つの国に多様な文化の共存はその国の文化の豊かさでもある」。哲学者・鶴見俊輔の言葉の具現の一歩だと思う。国籍を問わず誰であれ教育を受ける権利と選択の自由がある、その一歩だ。

自分の思いだけで子たちに日本の学校を選択した私は「僕は日本語人」と言ってくれた子の言葉に救われた。なぜなら、日本語が母語の朝鮮半島をルーツにする「言葉が国籍」の存在の誕生だと思えたから。

国家の過ちに翻弄されることのない存在でありたいと思う。大谷大学の鄭早苗教授の誘いで実現した韓国への旅で一層思った。

民族学校で学んだハングルを手当たり次第に声を出して読む私を見て、「字を習い始めた子どもみたい」と先生が笑う。私も笑う。知る人のいない、両親の祖国は私には他国だった。

鄭先生が私に言った。「あなたは宗教に逃げたのですね」と。「いえ、宗教から始まったのです」とまるで宣言するような、内なる言葉が自ずと出た。

大谷大学で2年間の修学の後、教師補任を受けた年の2月、凍て付くソウルの寒気の中での記憶。20年の歳月が過ぎても忘れない。

先生は日本の国籍を持つ母と韓国国籍の父の国籍のどちらかを選択できる立場にあったが敢えて韓国国籍を選んだ。私は「なぜですか?」と聞いた。先生は一言「義侠心よ」と答えて「日本で生きるなら日本の国籍で生きることの方が楽かもしれないけれど、少数の側を選ぶ」と言葉を続けた。

日本の社会は異者に対して過敏に反応する。一人ひとりの善良な資質は「和」を乱さぬことで、村の共同体の中で安心を得る資格の一つに吸収される。独自性は集団の中に取り込まれ追随を要求される。「目立たぬよう生きなさい」と教えたのは、子たちが通う小学校の教頭先生。しかし、このことは日本に限ったことではない。どこにでもある人間の持つ悲しみだと私は思う。いつでも他者を見失った時、閉塞して行くのだろう。鄭先生の言葉は、悲しみの共感と選択できる自由を教えてくれた。「アイデンティティーは僕自身」と教えてくれた3世の言葉が閉ざされませんように、選択する自由が開かれますように、願わずにはいられない。

誰一人代わることができない自分自身。一番出会い続けなければならない自分自身。たった一人では生きることができないことは自明のことなのに、世界に争いが止むことがない。愛するものを傷付けてしまう悲しみも衰えない。

連日のように報道されるどこかで起きている戦争。平和のためだという軍事パレードがテレビの画面に映しだされる。他所事のように届いた出来事は、今身近になっていないか。

沖縄に暮らす私は、延々と続くかのようなアメリカ軍基地の鉄条網を日常の中で見ている。当たり前になってしまった風景だ。しかし、当たり前の前提に戦争を想定した在り方が間違っている。「当たり前にしたくない」と言う人々の声はいまだに届かず、沖縄戦の記憶は遠ざかり、時は日常の暮らしに充足の錯覚を与える。気が付けばヒタヒタと忍び込んできた不条理。

歴史から何も学ばなかったかのように、過去の過ちが正しかったと塗りかえられ、再び準備される戦争への道。「弱かったから負けた。勝つためには強い軍事力こそ必要だ」という言葉を様々なところで聞いた。戦争に正義など有りはしないのに。

「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と願われた宗祖親鸞の言葉を、連日軍機が飛び交う沖縄の空下で思う。

朝になると、パンパンと手を打って太陽に祈り、月の夜は静かに手を合わせ祈る母の姿は私に自然に対する畏敬の念を教えた。それは誰の中にもある。人間の根底にある純朴な宗教心だったのだ、と今の私は思う。

日本の植民地になった朝鮮半島で生まれた母は、解放された祖国で生活することができないまま、日本の大地に骨を埋めた。学ぶ事を取り上げられた世代の女たちの一人だ。言葉が通じない異国で故郷の両親を思い、子たちの未来が幸せであるように祈ったに違いない。抗うことのない沈黙の祈り。

沈黙の祈りは私に問いを残し、自然は調和を教えてくれた。先頃(9月30日)の台風が去った後なぎ倒されたバナナの木の側に小さな株が育っていた。全て余分なものを払い落とした大木は亜熱帯の光を受けてたちまち新芽が息吹く、足元の黄色い小花は可憐に揺れて小さきものの強さを教えてくれた。倒れた所から立ち上がり咲き続ける花。名前も知らないけれど、いつからか庭に群生している。大切なことは調和だ。

「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」。仏説阿弥陀経のこの一説は一人ひとり、それぞれ光があることを教えて、調和の美しさを想像させてくれる。光は混ざり合うことなくそれぞれに輝いて競うことのない世界。卑屈にならず威張ることもない世界。

想像は幻想ではない。不条理を射る思考、調和を志向する意志だ。

「念仏は平和の祈り」、師が伝えてくれた言葉は私の生きる力だ。もはや、国家に翻弄されることのない精神の核になった。

私をじっと見る一枚の写真、問い掛けてくれた言葉、祈り、笑顔と涙。死者たちは何も語らない。生きていずれ死に行く私の身が聞く。そして、未来が問い掛ける。

私の動作を見ている小さな子の視線に気がついて、「何しているの」と聞いた。「見ているの」。真っ直ぐに私を見て、はち切れんばかりの笑顔で答えてくれた。「お年は?」と聞くと4本の指を立てた。初めて会った子の、その愛らしさ。未来よ。

私は過去と未来の今を生きている。捧げるのは解放への祈り。